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「はかた」那珂太郎 ふるさとも友も虚無のかなた 【あの名作その時代シリーズ】

8/8(木) 18:00配信 有料

西日本新聞

「はかた」に出てくる町とはすっかり様変わりした福岡市博多区下川端町一帯=左の川が博多川、中央に博多リバレイン、右は博多座(本社ヘリから)

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年3月25日付のものです。

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 博多生まれの詩人那珂太郎にとって、ふるさとは、もうない。ふるさと「はかた」は遠い日の幻像である。四章二百行からなる長編詩「はかた」は、その鎮魂として書かれた。

 三十五年前のことである。

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 東京・久我山の自宅で那珂が記憶をたどる。

 十数年ぶり博多に戻ったという一九七一年のことである。町には、ヒッピーまがいのひげを生やした若者が細身のジーパンをはいて闊歩(かっぽ)していた。「博多言葉もろくにあやつれぬ」のに。「仁輪加もどきのダジヤリズムできみらわがもの顔」(「はかた」)で、となる。

 そこは「よそよそしい異土」であり「まがひものの博多の町」でしかなかった。ふるさとは、他人の居場所。奪われていた。

 那珂が少年時代を過ごした麹屋町は博多で最もにぎわった一画である。みそせんべいの店、仏具の店、はきもの屋、陶器店…老舗が軒を並べていた。一銭洋食の店からはメリケン粉にしみるソースのにおいがしてきた。かくれんぼができる暗がりの隠れ家もあった。パッチンをしコマを回した。

 那珂は、そんな子どものころの町を詩の中によみがえらせた。自ら詩の中に駆け込んで行く。そして見渡す。

 「遊び仲間は、どこに行った」

 タイムスリップした空間を見渡してもだれもいない。泣き虫のえいちゃんも仏壇屋のじっちゃんもビルマで戦死していた。 本文:2,288文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:8/8(木) 18:00
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