ここから本文です

原爆のキーホルダーにショットグラス。原爆を作った人は英雄なの?留学先で受けた衝撃

8/9(金) 11:57配信

BuzzFeed Japan

6月末、米国人の原爆の捉え方に疑問の声をあげた日本人留学生のことが、NHKに取り上げられ、話題となった。長崎に投下された原子爆弾に使われたプルトニウムを生産した、アメリカ西部のワシントン州リッチランドに留学していた、福岡県出身の高校生だ。

【写真】原爆投下後。あの日の長崎。

彼女の留学先の高校のロゴマークは「キノコ雲」。現地の人々は、そのマークや原爆を誇りに思っているという。彼女は高校が運営するYouTubeを通して「原爆では多くの人が亡くなった。原爆が福岡に投下されていたら私はここにいない。学校のロゴマークを変えたいと思っているわけではないけど、こんな意見もあると知ってほしい」と発信した。

米国で1人、行動を起こした彼女のニュースを読み、多くの人が感心しただろう。しかし私は、米国留学をして同じような違和感を感じたものの、行動を起こせなかった日本人の女子高校生を思い出した。

10年前の私だ。【BuzzFeed Japan/冨田 すみれ子】

街の「誇り」である原爆開発

2008年から09年にかけて、私は米国南西部ニューメキシコ州の高校に留学していた。

ニューメキシコ州は、広島と長崎に落とされた原爆が作られた場所で、人類史上初めて、核実験が行われた場所でもある。

上の写真は、1945年7月16日にニューメキシコ州北部アラモゴードの砂漠にある「トリニティー」(三位一体)実験場で行われた、史上初めての原爆実験の様子だ。この数週間後、広島と長崎に原爆が投下された。

留学先の高校は州都のサンタフェにあり、普段、原爆のことについて考えることはなかった。

衝撃を受けたのは、原爆を開発した国立研究所があるロスアラモスを訪れた時のことだ。

ホームステイ先のホストマザーが「ニューメキシコ州に留学した日本人なら、行っておくべき場所がある」と、車で1時間ほどの場所にあるロスアラモスに連れて行ってくれた。

第二次世界大戦中の1943年、原爆を開発するマンハッタン計画のもと、ロスアラモス国立研究所が創設され、そこで原爆が開発された。研究所には今も国内最高峰の科学者らが集まり、軍事関係の研究や開発が行われる「閉ざされた研究所」だ。

この街にあるブラッドベリー科学博物館を訪れた。

博物館の最も目立つところに展示されているのは、1945年8月6日に広島に投下された「リトルボーイ」と、8月9日に長崎に投下された「ファットマン」のレプリカだった。

その横で流れていた映像の字幕を目にして、衝撃が走った。

1/5ページ

最終更新:8/9(金) 12:47
BuzzFeed Japan

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事