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土を持ち帰らない広島商の伝統 後輩たちへのメッセージ

8/11(日) 8:03配信

朝日新聞デジタル

(10日、岡山学芸館6―5広島商)

 大正、昭和、平成、そして令和の四つの元号で夏の甲子園出場を成し遂げた広島商。伝統に支えられたプレーの数々に、OBたちも目を細めた。

 5度目の優勝を果たした1973年夏の大会に1番・三塁手として出場した浜中清次さん(62)=広島市西区=は、内野席で試合を見守った。

 あの年、元広島カープの達川光男さんらを擁するチームは公立の強豪校を次々に破り、決勝で静岡(静岡)を相手に劇的なサヨナラ勝ち。当時の浜中さんのユニホームは、球場内にある甲子園歴史館に展示されている。

 この日、五回表に山路祥都君(3年)が本塁打を放つと、身を乗り出して打球の行方を追い「あの大会の達川さんの本塁打を思い出すなあ」と懐かしがった。

 孫の清水真翔(まなと)君(同)も七回に代打で登場。敵失で出塁し、好走塁で貴重な追加点のホームを踏むと、「ほっとした」と胸をなで下ろした。

 広島商らしい堅守が光る場面も多かった。七回裏、5―3に追い上げられ、なお1死一、三塁のピンチで、二塁手の北田勇翔君(同)や遊撃手の水岡嶺君(同)らが連係して併殺にすると、「これぞ広商野球、勢いを攻撃につなげてほしい」と拳を握りしめてたたえた。

 惜敗したが、浜中さんは「甲子園は広商にとって『庭』みたいなもの。選手たちは伝統を守り、土を持ち帰らなかった。後輩たちに必ず戻ってこいというメッセージだろう」と夢をつないだ。(東谷晃平)

朝日新聞社

最終更新:8/11(日) 8:23
朝日新聞デジタル

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