ここから本文です

[寄稿]平凡な韓国と日本の市民がもっと対話しなければならない

8/11(日) 8:17配信

ハンギョレ新聞

ユン・ジョンシンが作曲し、日本の練習生が歌った歌 悪化した韓日関係のため、発表を延期 慎重論広がっているが依然として 日本という理由だけで反対多い  政治的目的で攻撃する勢力を拒否し 民間・文化交流の拡大し、理解を深めるべき 少女像を守る日本市民のように 日本選手の優勝を祝った韓国観衆のように

 「公開日が先送りされました」。7月中旬頃だった。私が映画コラムを寄稿するミスティック・エンターテインメントのウェブマガジン「月間ユン・ジョンシン」(歌手のユン・ジョンシンが毎月一曲のシングルを発表するプロジェクト「月間ユン・ジョンシン」と連携して運営されるメディア)の担当エディターは、私に普段より大幅に遅れた締め切り日を示した。シングルアルバム発表時点に合わせて一緒に発行されるマガジンであるため、締め切り期限が多少前後することはよくあることだが、それにしても7月号の締切日は遅すぎた。不思議に思っていたころ、エディターがその理由を説明した。「もともと、今月の歌唱者は日本人練習生だったのですが、録音まで終わった状態で、韓日関係が悪化したため、発売が無期限延期になりました」

 ユン・ジョンシンが、最近自分のソーシャルメディアを通じて慎重にこれまでの事情を打ち明けた。Mnetの番組「プロデュース48」ファイナリスト出身の竹内美宥に関する内容だった。完成段階の曲を作っておきながら、慌てて新しいシングルを準備しなければならなかった「月刊ユン・ジョンシン」側も対応に追われたかもしれないが、自分のミスでもない理由でデビューが延期された竹内美宥の心境を考えると、暗澹たる思いだった。多分このような理由でデビューが延期された日本人練習生が一人や二人ではないだろう。

反戦思想の「ドラえもん」も封切り延期

 「安倍政権が憎くても、日本人全体を憎んではならない」という慎重論がある程度根を下ろしている現在の時点で考えると、ミスティック・エンターテインメントが過剰反応を示したように見えるかもしれない。実際、ユン・ジョンシンの書き込みが掲載されたソーシャルメディアやポータルサイトのニュース、そのニュースがシェアされた各種コミュニティサイトの書き込みを見る限り、「こんな時こそ、もっと両国間の民間レベルの交流は続けなければならない」とか、「韓国国民はそんなに愚かではない。韓国の文化を愛して韓国で活動しようとする日本人は歓迎する」などの意見が多い。しかし、その決定が下された7月中旬頃には今とは雰囲気がずいぶん違った。日本の「あいちトリエンナーレ2019」に出品された「平和の少女像」の展示が中断されたことに韓国と日本の多くの市民が憤慨したものの、7月中旬頃、韓国のあるジャンル映画祭が「(当該ジャンルの)代表格の作品であり、アジア圏の象徴的作品」という理由で、映画祭のポスターのテーマとしても使われた日本映画『座頭市』シリーズ特別展のセクション全体を取り消してしまった事実を知っている人はほとんどいない。釜山国際映画祭が政治的な理由で外圧に苦しむとき、多くの映画人が「映画祭は政治的・経済的物差しではなく、芸術的完成度だけで映画を論じることができるようにしなければならない」と主張してきたことが恥ずかしくなるような決定だ。

 今になって「韓国人の集団的知性を信じて発売したらいいのに」と言うのはたやすいことだ。だが、オンライン上で竹内美宥への温情的な反応が比較的多いのは、ユン・ジョンシンがこれまでの事情を説明したからだろう。一切の説明なしに、予定どおり7月中にシングルを発売したと仮定してみよう。反応は今のように友好的だっただろうか。応援する書き込みが多いとはいえ、その書き込みが何の理由もなく非難する人たちの声をかき消せるわけではない。TWICEのサナやモモ、ミナなど韓国芸能界で活動中の日本人歌手たちを追いすべきだという話まで、インターネット上で流れていた時期だった。

 「あえてこんな時期に韓国で一旗揚げようとしてきた日本人練習生の歌を発表すべきだったのか。一生懸命努力する韓国人の練習生も多いはずなのに」というような反応がないとは確信できなかっただろう。単なる曲の売れ行きだけではなく、アーティスト個人に責任を問うことができない理由で非難されるかも知れないのに、そのリスクを甘受してまで「集団知性を信じる」理由はなかったはずだ。作品の中で戦争に対する嫌悪と反戦思想を地道に描いてきた日本のアニメ『ドラえもん』シリーズの新作の封切りが無期限延期となったのも同じ理由であろう。ドラえもんシリーズが作品を通じて地道に平和と反戦のメッセージを謳ってきたという事実を説明するのには長い時間がかかるが、劇場にかかったポスターを見て「この時期に日本アニメだなんて」と言うのは一瞬だからだ。

交流が途絶えれば、極右勢力はさらに活気を帯びる

 それは7月中旬のことであり、今は8月だから、状況が少しは改善されただろうか? 慎重論がある程度根を下ろしたのは事実だ。堤川(チェチョン)国際音楽映画祭をはじめ、国内のほとんどの映画祭は、予定された日本の映画プログラムをそのまま上映することにしており、韓国に進出した日本出身の歌手たちも、慎重に活動を始めた。悪質な書き込みを掲載するネットユーザーよりは、応援するネットユーザーの数が多いのは鼓舞的だ。しかし、依然として“日本”という理由だけで全ての交流に反対する雰囲気はあちこちで見られる。

 8月6日、ソウル広津区(クァンジング)は報道資料で、日本との交流をボイコットするとして、日本の市民団体「希望連帯」の訪問日程を断ったことを知らせた。該当団体は、両国間の労働運動と市民社会の交流を地道に進めてきた非営利団体だ。生協の活動家や労働組合の活動家、市民社会団体の活動家など、様々な分野の活動家が集まった「希望連帯」は、韓日両国の労働教育交流を推進し、韓国のろうそく革命と民主主義を地道に研究して、関連研究書籍を発刊すると共に、日本の市民社会が韓国の市民社会のダイナミズムを学ぶことを希望してきた団体だ。こんなことをしていては、日本の歴史教育が不足し、日本国内の良心勢力が力を発揮できないと嘆いても、何も変わらない。私たちが“日本”だというだけで、日本国内で安倍政権の暴走を批判し、彼を牽制しようと努力する日本人との交流を断ったことを広報する報道資料を出している限りは。

 このような時だからこそ、両国間の民間レベルの交流、文化交流を進めなければならない。それは、日本に対する韓国の大衆文化の輸出量が輸入量に比べて遥かに多いからでもなく、日本人観光客が韓国で金を使うためでもない。状況が逆だったとしても同じだ。交流を続けなければならない理由はただ一つ、交流が途絶えれば、両国国民間の誤解と不信が深まるからだ。政治レベルで生じた軋轢は、水面下の交渉や出口戦略に関する議論など、様々なオプションを通じて、後に解決することができるかも知れないが、社会構成員一人ひとりの心の中に根差した敵対感と憎悪は、政府レベルの軋轢が解消されたからといって、簡単には消えない。感情は政策と異なり、一夜にして撤回できるようなものではないからだ。

 韓日両国を行き来しながら両国間の理解と共感を広げてきた多くの民間・文化交流が萎縮すればするほど、日本市民たちは平凡な韓国市民の暮らしがどんなものなのかを理解する機会を、韓国市民は平凡な日本市民の暮らしがどんなものなのかを理解する機会を失ってしまう。そうなれば、反韓感情を助長し、自分たちの政治的目的の達成を追求する日本の極右勢力や、この機会を狙って自分の立場を固めるためにソウル中心部に「NO JAPAN」の旗を掲げて非難を浴びたソウル中区のソ・ヤンホ区庁長のような人たちが注目を浴びやすい土壌が作られる。

 両国の交流が続くためには、両国の市民がより先頭に立って単純に「日本/韓国」という理由だけで非難し、攻撃する人々を阻止し、好意を込めた言葉をかけ合う成熟さを守っていかなければならない。日本で展示中の「平和の少女像」が日本の政界と極右勢力から脅かされたことに対し、少なからぬ日本市民が抗議集会を開いて声明書を発表し、“守り役”を買って出て少女像を守るために乗り出したように。光州(クァンジュ)国際水泳選手権大会を訪れた日本人観光客に、日本選手の金メダル獲得を祝う言葉をかけて、涙を誘った名もなき韓国観衆のように。私たちは互いをもっとよく理解するために、対話をやめてはならない。

イ・スンハンTVコラムニスト(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:8/12(月) 9:46
ハンギョレ新聞

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事