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紫電改「体当たり」の真相 B29と壮絶な空中戦、少年航空兵の最期

8/13(火) 10:02配信

西日本新聞

機体が空中分解を起こし、そのまま山中に墜落

 敵機に接触するほどのすれすれを通り過ぎながら、機銃を放った紫電改。被弾したB29は、エンジンが炎上した。

 最初の攻撃を終え、垂直方向に降下していた粕谷さんは、操縦桿を握りしめて機体を引き起こすと、今度は下側からB29を追撃した。が、再びすれ違いざまに射撃した際、急な方向転換で大きな負荷がかかっていた機体が空中分解を起こし、そのまま山中に墜落した。

 垂直背面攻撃は、機体を引き起こす時にパイロットの意識が飛ぶほどの重力加速度がかかる。機体に「しわ」が発生したり、粕谷さんの機のように空中分解したりすることもあった。敵機との衝突や反撃を回避できてもなお、死線を超えるには至らない過酷な技だった。

 粕谷さんの機体は大分県竹田市の山中に落ちた。粕谷さん自身は落下傘が開いたものの、空中分解の衝撃によって頭の骨が折れるなどし、午前8時20分ごろに絶命したとみられる。近くの住民が救護に駆け付けた時には、まだ体が温かかったという。

 被弾したB29はコントロールを失い、乗組員たちは機体を放棄してパラシュートで脱出。地上で住民らに捕らえられたり、交戦中に死亡したりした。機長として東京へ送致されたワトキンズ氏以外の捕虜は、後に九州帝国大(現在の九州大)に移され、片肺切除などの生体解剖手術を受けて死亡した。

B29の元機長ワトキンズ氏の証言には「すれ違った」

 粕谷さんの最期は地元では長く、B29に「体当たりした」と伝えられてきた。粕谷さんとB29搭乗員の名を刻んだ現地の鎮魂碑「殉空之碑」にも、そう刻まれている。

 当時、小学生だった地元の男性(85)は西日本新聞の取材に「紫電改は落下しながらB29とすれ違い、U字カーブを描いて上昇しながら敵機にぶつかった」と話しており、こうした住民の証言から「体当たり」説が広まったとみられる。

 太平洋戦争当時、敵機に機銃を撃ち込むのは非常に難しかった。コクピットの照準器を敵機に合わせて撃つだけでは命中せず、歴戦のパイロットは100メートル以内まで距離を詰めて撃ったという。それだけ接近して射撃をしていれば、粕谷さんの紫電改が実際には空中分解をしていても、地上からは「体当たり」に見えても不思議ではない。粕谷さんの最期を記した旧日本海軍の文書には「空中分解」とあり、B29の元機長ワトキンズ氏の証言には「すれ違った」と記録されている。優秀なパイロットをそろえ、最新の戦闘機を配備した343航空隊では、体当たり戦法を採用してもいなかった。

 最期が体当たりではなく、空中分解だったとしても、19歳の若者の戦いが色あせる訳ではない。ただ、勇敢さや美談がもてはやされ、時代の空気に流される中で、埋もれてしまう「真相」がある。そんな危うさを今の時代に伝えている。

 紫電改の落下地点は明確に伝えられてこなかったが、当時の目撃証言を基に、戦争捕虜の調査研究をしている民間団体「POW研究会」(東京)のメンバーや住民らが2018年春から現地を捜索。機体の旋回性能を上げる両翼の「空戦フラップ」の一部で、旧日本海軍のいかりの文様が入った部品や、フロントガラスと思われる親指大のガラス片の塊など約60点が発見された。その一部は現地にある粕谷さんの「鎮魂碑」の前に展示されている。

※この記事は西日本新聞とYahoo!ニュースの連携企画記事です。太平洋戦争末期に旧日本軍が投入した戦闘機「紫電改」を巡る逸話について2回の連載で迫ります。

西日本新聞

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最終更新:8/13(火) 13:07
西日本新聞

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