ここから本文です

ブルースバンド「憂歌団」のルーツは京都にあり ボーカル木村充揮さんが寄せる思い

8/13(火) 12:13配信

まいどなニュース

 大阪のイメージが強いブルースバンド「憂歌団」だが、意外にもそのルーツには京都が大きく関わっていた。ソロとしては初のライブ盤アルバムをリリースしたばかりのボーカル木村充揮さん(65)が、9月に大阪城音楽堂で「木村充揮ロックンロールフェスティバル」が開催されるのを前に、京都への思いを語った。

 「よう京都のバンドと言われましたわ」。1972年、高校の同級生だった内田勘太郎さんと組んだ「憂歌団」は、2人の地元である大阪・天王寺の喫茶店で初めてライブを行った。ともに18歳だった。しかし、高校を卒業して活動を休止していた頃、京都の銀閣寺近くにある店「ダムハウス」を知人に紹介された。

 「当時、京都はブルースが盛り上がっていたんですわ。で、『2人でやらせてもらえませんか』って行った。僕はまだ家の仕事をしてたからライブ終わって最終電車で天王寺に帰ったけど、勘太郎はフリーだったから、京都の友達の所に泊めてもらったりして」

 京都ではブルースバンドが次々と生まれ、「村八分」や豊田勇造さんのような先駆者もいて、大きな渦が生まれ始めていたという。「イベントもぎょうさんあって、(京都大の)西部講堂でもライブが多かった。学生がみんなよう(酒を)飲んでて、ライブ中に一升瓶が回ってきて。学生を中心に大阪よりも活発な雰囲気があったんです」

 73年、京都市にライブハウス「拾得[じっとく]」(上京区)が開店。翌年には「磔磔[たくたく]」(下京区)が続き、「サーカス&サーカス」も銀閣寺近くにできた。「憂歌団」もライブに出演するようになった。「やっぱり、人の巡り合わせいうんかね。京都で歌うようになって、次のライブとかレコーディングにつながっていく。『拾得』と『磔磔』が今もあるいうんが、ものすごくうれしい」。7月29日から6日間は「磔磔」で毎日ゲストを招いてライブを開いた。

 今も大阪・天王寺に住む「こてこて」の大阪人である木村さんにとって、京都とはどんな街なのだろう。「大阪は大衆的で、がさつな所がある(笑)。大阪の方がブルース的だとは思うけど、京都でのライブでは、お客さんの酒の入り方次第ではすごい時もある。大阪も京都も、あんまり変わらへんのちゃうかな」
 ライブでは歌の合間に水割りをチビチビ飲みながら、ちゃめっ気たっぷりのしゃべりで笑わせる木村さん。「でも、京都の街はあんまり歩いたことないんです。ライブの合間はパチンコばっかりで。すいません」。おなじみの“木村節”で笑いながら語った。


(まいどなニュース/京都新聞・樺山 聡)

まいどなニュース

最終更新:8/13(火) 12:15
まいどなニュース

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事