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竹でできた「どこでも茶室」で一服いかが 百貨店や無人駅で茶を点てる禅僧「不完全は美しい」

8/14(水) 16:30配信

まいどなニュース

 竹で仕切った空間を茶室に見立て、山や海、あるいは百貨店の雑踏の中で茶会を催す禅僧がいる。「自然や人との出会い、五感でその場の空気を感じてほしい」と願い、人や場所との物語を紡ぐ。真夏の昼下がり、渓谷を走る観光トロッコ列車の無人駅で開かれた茶会を訪ねた。

【写真】茶会の最中に、トロッコ列車が駅に停車…これもひとときの出会い

 ジージーとせみ時雨が耳底に響く。立っているだけでも、じっとりと粘度を増した汗が噴き出る。梅雨明けの熱暑の中、京都市西京区のトロッコ保津峡駅ホームに竹の茶室「帰庵[きあん]」が組み立てられた。細めのメダケやマダケのパーツ27本を手際良く差し込んでいく。柱や屋根はあるが、天井も壁もない。保津川をはさんで対岸の山並みを背景に切り取る。

 「お茶を介した人や自然との出会いを楽しみたい」。「帰庵」は、大徳寺大慈院の戸田惺山住職(51)と数寄屋建築を手がける山中工務店(北区)の稲井田将行取締役本部長(43)のシンプルな思いからスタートした。実用性にこだわり、持ち運びができるようにと試行錯誤を重ねた結果が軽くて丈夫な竹の茶室だった。3メートル四方のスペースがあれば、どこでも茶室にできる。「茶室としては不完全だが、不完全を美しいと思う心を感じることができる」。雪山で、波打ち寄せる絶景で、廃校となった小学校の満開の桜の下で、パリのエッフェル塔の前で、この4年間に80回以上の出会いを重ねてきた。

 組み立てから15分。「在釜」の小さな旗がひらめき、茶会の始まりを告げた。この日の正客は、嵯峨野観光鉄道の井上敬章社長(60)だ。アウトドア用のコンロの上に釜を置き、湯が沸くのを待ちながら話が交わされる。

 「無人駅は非日常的空間。ロマンがありますね」。戸田住職が語りかけると、井上社長は「鉄道の使命を感じる。駅一つ、線路一つなくすことは、地元の方にとっては、心がなくなるようなものだと感じている」。祖父から3代続く鉄道マンの誇りや、駅にまつわる物語を話し始めた。

 トロッコ列車が走る線路は、今年、開通120年の節目を迎えた。歴史は1899年8月15日、京都―舞鶴間の鉄路の敷設を目指した民営鉄道、京都鉄道による嵯峨―園部間全通にさかのぼる。保津峡の断崖絶壁の区間は、トンネル8カ所、橋梁[きょうりょう]は50カ所を超えたとされる。その後、国鉄に引き継がれ、1989年3月、複線化に伴う新線移行まで、京都市と府北部をつなぐ基幹路線だった。

 トロッコ保津峡駅は29年に信号場として開設、36年に旅客駅化し国鉄保津峡駅として開業した。89年の新線移行で一時使われなくなったが、91年に嵯峨野観光鉄道の開業に伴い、再開業した。

 こうした歴史を振り返り、井上社長は「120年前、鉄道が通って、一番の工事の難関がまさにトロッコの線。ここを使わせていただいているのは、先人の思いを引き継ぐこと」と語る。そして「列車を運転するだけでなく、保線や車両のメンテナンス、落石防止、そんな努力があって、一本の列車を走らせることができる。劇団のようなもので、舞台に立つ役者だけでなく、大道具や小道具、照明…、誰一人欠けても走れない」と一人一人の重みをかみしめる。

 戸田住職は「みなさんの努力で血が通っているような気がします」と、一碗を勧めた。

 茶室を出た井上社長は「最初はしばし緊張があったが、進むにつれて自然に心が安らぎ、途中で川の音やセミの声が聞こえてくるようになった。仕切られた空間の中での、規律と自然とのギャップで、心が落ち着いていることを感じることができた」と茶会の楽しみに触れた。

 茶会の最中、満員の乗客を乗せたトロッコ列車が停車した。ホームで繰り広げられる光景に、珍しげにカメラやスマホを向ける乗客たち。二人は笑顔で手を振った。これもひとときの出会いと。

    ◇

 「帰庵」で、新しい出会いや物語を紡いでみませんか。希望者は紡ぎたいエピソードを添えて、〒603―8231 京都市北区紫野大徳寺町5、大慈院へ。


(まいどなニュース/京都新聞)

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最終更新:8/14(水) 17:22
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