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【卓球・虎の穴】福原愛も使った“最強サーブ”の聖地~王子卓球の過去と今~

8/16(金) 12:47配信

Rallys

天才卓球少女“泣き虫愛ちゃん”の愛称で知られた福原愛。15歳でアテネ五輪代表に選出されると、その後も北京、ロンドン、リオと4大会連続で五輪出場を果たし、日本チームを引っ張った。そんな福原愛が駆使したサーブのひとつに、“王子サーブ”と呼ばれる必殺サーブがある。

しゃがみ込みながら変則的なフォームで強烈なスピンをかける“王子サーブ”が生まれた地、「王子卓球センター」の過去と今に迫った。

王子サーブの生みの親は“八百屋のおっちゃん”

王子サーブは大阪府大阪市阿倍野区王子町の路地裏にある卓球場・王子卓球センターで誕生した。王子卓球センターの作馬六郎氏が王子サーブの生みの親だ。

作馬氏は17歳のときに集団就職で大阪へ。市場へ就職後しばらくして、センターに通うようになった。

「勝ったらずっと卓球ができたからサーブを研究した」。

センターでは勝ち続ければ常に台に入ることができる“勝ち抜き戦形式”が取り入れられていた。作馬氏にとって、勝つことだけが長く卓球を楽しむ方法だった。

「少しでも長い時間、卓球がしたい」という強い思いを胸に、作馬氏は一人でも練習ができるサーブの研究に明け暮れた。

市場が休みの日には大量のボールをセンターに持ち込み、サーブ練習をする。そんな日々が続いていた。

「もう、ずるいわ~。サーブだけで点数取んねんもん」。

次第に周囲からそう言われるようになり、作馬氏が発明した王子サーブはセンターで敵なしの必殺技になった。

虎の穴の始まり

その後、同じようにセンターに通っていた子どもを中心とした小学生チームを創設。王子卓球センターが卓球界の虎の穴になるきっかけになった。

岡崎恵子や武田明子といった2000年前後に活躍した“のちの世界選手権代表選手”がメンバーだった。彼女らが小学生だった頃に作馬氏が指導を行い、王子サーブを武器に団体戦の全国大会で初出場初優勝。教え子の大躍進を機に、「5本に4本は返ってこなかった」という王子サーブはその名を一気に全国に轟かせた。

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最終更新:8/20(火) 11:21
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