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「なつぞら」 北の酪農ヒストリー 第19回 健土健民と黒澤酉蔵 循環農業発展の祖

8/17(土) 9:05配信

日本農業新聞

 「なつぞら」は、戦災孤児のなつが十勝の柴田牧場に引き取られ、酪農の仕事を手伝うシーンから始まりました。

 なつは、牛と仲良くなることが大切だと教わり、牛たちに声を掛けながら仕事をします。放牧に出すときには「いってらっしゃーい! 元気いっぱい草を食べてね。いっぱいふんをしてね」、放牧から帰ってくると、「お帰りなさい! いっぱい草食べた? いっぱいふんした?」と、元気のよい言葉を発します。

 初めて酪農の仕事をした9歳のなつの言葉に驚かされます。牛の生産物は牛乳ですが、ふんや尿も大事な生産物であることを知っていたからです。牛は主食の草をたくさん食べるほど牛乳をたくさん出します。ふんと尿を合計すると牛乳の倍くらいになります。

 当時の柴田牧場の乳牛は、1日1頭当たり牛乳を約20キロ、ふんを約30キロ、尿を約10キロ生産していたと思われます。酪農で生産されるふんと尿が土地を肥沃(ひよく)にすることはよく知られています。まさに、牛のふんと尿が十勝を酪農王国、農業王国に導いたのです。

 牛のふんと尿が肥料として重要であり、土をよくすることを北海道で最初に説いたのは札幌農学校のクラーク博士です。それ以前の日本の農業では人ぷんが肥料として用いられていました。

 このころは酪農という言葉はなく、牛乳搾取業でした。明治後半に米国帰りの宇都宮仙太郎が酪農という言葉を使い始め、1917(大正6)年に宇都宮と黒澤酉蔵らは、日本で最初に酪農の冠が付いた日本最初の牛乳出荷組合、札幌酪農組合(後にサツラク農業協同組合)を立ち上げました。

 宇都宮と黒澤らは、25(大正14)年、酪農民による乳製品の加工販売組合、北海道製酪販売組合(後に酪連、雪印乳業)を設立、さらに41(昭和16)年、黒澤は酪連、森永、明治を統合した巨大乳業会社、北海道興農公社の社長になりました。

 この間、黒澤は、ふん尿を土に返す循環農法による農地の肥沃化と、健康な土が健康な国民をつくるという「健土健民」思想を力説し続けました。(酪農学園大学名誉教授・安宅一夫)

日本農業新聞

最終更新:8/17(土) 9:05
日本農業新聞

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