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『のらくろ』とともに子供マンガの世界を再発見。田河水泡がマンガ界にもたらした改革とは?

8/18(日) 9:04配信

美術手帖

 『のらくろ』などで知られるマンガ家・田河水泡(たがわ・すいほう、1899~1989)の生誕120年を記念して、田河が日本のマンガ表現に起こした改革に迫る展覧会「のらくろであります!田河水泡と子供マンガの遊園地〈ワンダーランド〉」が、神奈川県の川崎市市民ミュージアムで開催される。


 田河は1922年に日本美術学校に入学後、前衛芸術に傾倒し、戦前日本のダダ運動を代表するグループ「マヴォ」に参加。卒業後、広告や看板描きなどをして生計を立てていたが、生活のため創作落語を大日本雄弁会講談社(現・講談社)に持ち込んだことで作家に転身する。絵も描けることから次第にマンガも頼まれるようになり、雑誌に掲載された作品をまとめた『漫画の缶詰』(1930)、『漫画常設館』(1931)でマンガ家として注目を集めた。


 田河の代表作『のらくろ』は、『少年倶楽部』1931年1月号から連載をスタートし、瞬く間に大人気となった。その成功はマンガだけに留まらず、演劇やアニメーション映画、レコード、人形やお菓子のおまけの制作など多方面にわたり、のらくろは時代を代表する文化的なアイコンとして多くの人々から愛された。


 そんな田河のもとには、杉浦茂や長谷川町子といったマンガ家志望の弟子たちが集まり、また他の出版社もマンガ分野に参入し始めたことで、気鋭の漫画家たちが次々と頭角を現した。こうした長大な物語を表現した子供向けマンガの潮流は戦中も絶えることなく続き、戦後に手塚治虫などの新たな才能を育む土壌として、日本のマンガ文化を大きく躍進させる原動力となっていった。


 本展は、明治から始まる子供向けのマンガの歴史を踏まえ、田河が戦前期のマンガやその他の分野に残した足跡と影響を軸に展開。のらくろとともに昭和戦前期に花開いた知られざる「子供マンガ」の豊かな世界を再発見することを試みる。

最終更新:8/18(日) 9:04
美術手帖

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