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なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」のか? “ビアンカフローラ論争”がいつまでも終わらない理由と「ドラクエV」というゲームの巧妙さ

8/18(日) 21:08配信

ねとらぼ

 映画「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」の原作ということで、にわかに注目を集めている「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」。映画が公開された後は、セールの効果もあってかなり長い期間、アプリストアのランキング1位に居座り続けており、あらためてその人気に驚かされました。

【画像で見る:ビアンカとフローラ、どちらを選んだ?】

 シリーズの中でも特に「名作」との呼び声が高い同作。だからこそ映画の原作にも選ばれたわけですが、一体「ドラクエV」の何がそこまでユーザーを引きつけるのか? 現役ゲーム開発者であり、ブログ「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の管理人、hamatsuさんによる、原作「ドラクエV」レビューをお送りします。

なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」の?

 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」が公開されて以降、この映画についての多くの言葉がネットを飛び交っている。

 当サイト、ねとらぼでもかなり批判的なレビューが掲載され、大きな反響を呼んでいる。肯定的な評価をする論者も居いるものの、おおむね批判的な評価が大勢を占めているとも言ってしまっていいだろう。

 筆者も劇場で鑑賞したが、ここからさらにこの映画に対して何らかの評価を付け加えるつもりはあまりない。個人的には映画中で繰り返し擦り倒される「序曲」を始め、使い所を間違えまくる音楽の扱いの雑さにはかなりゲンナリさせられたものの、全く楽しめなかった訳ではないし、最後の大オチに関しても既にある程度は承知の上で望んだので、まあこんなものかと受け流してしまった。

 今回この記事であらためて考えてみたいのは、「ドラゴンクエストV 天空の花嫁」(以下ドラクエV)についてである。

 なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」のだろうか? ユア・ストーリーだって「ドラクエV」の映像化でなければここまでの反響はなかったのではないだろうか。

 結論を言ってしまえばその最大の理由は、プレイヤーが自分の意志で相手を選べるという最重要イベント、「結婚」にあることは間違いないだろう。1992年に「ドラクエV」がリリースされて以来2019年の現在まで続く、ビアンカフローラ論争の始まりである。

 ちなみに筆者は「ドラクエV」を遊ぶときは、必ずビアンカを選んでしまう。2周目以降はフローラ、DS版のリメークで追加されたデボラを選ぶという考えも浮かびはするものの、結局ビアンカを選んでしまう。逆に何度やってもフローラを選んでしまうという人もいるだろう。

 ビアンカフローラ論争が四半世紀以上に渡って続く理由はこんなところにある。「ドラクエV」は結婚相手を「選べる」ゲームなのではない。自分が思いを込めて決めた相手しか「選べない」ゲームなのである。 だからどっちもそれぞれ良かったね、なんてヌルーい結論にはいつまでたっても至ってくれないのだ。なぜ「ドラクエV」はそのような熱を帯びた、一種のカルト性を孕んだゲームなのか、あらためて考えてみよう。

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最終更新:8/18(日) 23:30
ねとらぼ

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