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なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」のか? “ビアンカフローラ論争”がいつまでも終わらない理由と「ドラクエV」というゲームの巧妙さ

8/18(日) 21:08配信

ねとらぼ

岩を押し続ける簡単なお仕事

 十年間岩を押し続けるってどんな感じなんだろ?

 「ドラクエV」について考え始めるとどうしてもそのことについて考えてしまう。

 このゲームは主人公の幼少期から始まり、やがて青年へと成長し、最大のイベント「結婚」を迎え、2人の子どもを授かり、さらに成長したその子どもとともに冒険の旅に出るという親子3代にわたる長大な「時間」の流れを描く物語である。

 そのため、ゲーム中では2回、大きな時間経過が起きるイベントが存在する。

 ネタバレになるので詳細は控えるが、ゲームというメディアにおいて自分の分身たるプレイヤーキャラクターが、子どもから大人になってしまうほどの変化、プレイヤーが知り得ない長い時間を経過させてしまうということはなかなか危険な行為である。これまで一体感を築いてきたはずのプレイヤーとゲーム中の主人公との間に乖離が生まれる恐れがあるからだ。

 特にドラゴンクエストシリーズのような、プレイヤーとゲームキャラクターの間の一体感を重視してきたゲームであればなおさらだ。このようなゲームにとって10年単位の大きな時間経過を発生させるということはプレイヤーとの一体感を阻害する、かなりリスクの高い行為と言ってしまってもいいだろう。

 だが、「ドラクエV」が傑出したタイトルである理由はそのようなリスクの高い行為をむしろ逆手にとって利用している点にこそある。

 長大な時間経過が一瞬にして過ぎてしまい、その間に起きたことをプレイヤーが知らないなら想像に委ねればいい、時間経過以外にもさまざまな「欠落」や「隙間」を用意した上で、それをプレイヤー自身が埋めることができるようにゲームを設計すれば、逆にそれはゲームの推進力になる。だからこそ、このゲームにおける2回の時間経過イベントはそのどちらもが呆気に取られてしまうほどに一瞬で色んなものを失い、大小さまざまな「行間」を発生させる衝撃的なイベントになっているのである。

 ストーリーで発生する「欠落」や「隙間」「行間」をゲームシステムによって補間するゲーム、それが「ドラクエV」なのだ。

 システム面での大きな特徴である「モンスター仲間システム」にしても、ただ単純にモンスターが仲間にできれば面白そうだから導入したということ以上に、いろいろあって家族を失った主人公があらためて仲間、家族を再構築するという、ストーリーを補完する意味がある。

 そしてここまで来てしまえばもう説明は不要だろう、このゲームにおける「結婚」イベントに多くの人が思い入れてしまう理由もまた、「ドラクエV」というゲームに巧みに仕込まれた「欠落」にこそある。

 プレイヤーがそれぞれの形、それぞれの思いによって過去、そして未来の時間を埋められるように巧みにシナリオ、ゲームシステムが設計されているからこそ、単にゲーム中における新しい仲間の追加ということ以上にユーザーが熱を込めて思い入れてしまうのである。つまりビアンカフローラ論争は永遠に終わることはない。

 ちょっとネタバレになってしまうが、青年期初期の長く苦楽を共にしたはずの友人とは意外にサクッと別れ、故郷はズタボロにされ、せっかく旧友に再会したと思ったら村八分を食らい、そしたら別れたはずの友人はサクッと結婚し……っていう主人公の心を削りにくる畳み掛けるような展開って本当に……堀井さん……!

 ちなみに我ながら気持ち悪い話なのだけれども、筆者がビアンカしか「選べない」のはビアンカ以外の相手を選んだ時に、その後もビアンカが山奥の村に存在し続けるという事実に耐えられないからなんですよ。そんな未来は要らないっていうか。

 「ドラクエV」は恐らくもっとも時間がたっても「古びない」タイプのゲームで、だからこそ映画化の原作としても選ばれたのではないかと思うのだけど、その理由はこのゲームがユーザーそれぞれの思いを載せる「器」として優れているからだと筆者は考える。だからこそいまだに岩を押し続ける暮らしに思いをはせてしまうのだ。

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最終更新:8/18(日) 23:30
ねとらぼ

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