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なぜ「ドラクエV」はここまで「語られる」のか? “ビアンカフローラ論争”がいつまでも終わらない理由と「ドラクエV」というゲームの巧妙さ

8/18(日) 21:08配信

ねとらぼ

ドラゴンクエストは「虚無」を許容する

 ここからは余談なのだが、この記事を書くにあたって、久しぶりにドラクエV(DS版)をプレイしてみてあらためて気付かされたことがある。それは、カジノが出現するタイミング、絶妙すぎ! ということだ。

 いろいろなことがあって、さまざまなものを失ってボロボロだけどどうにか新しい旅を始めようかと立ち上がった主人公が初めて訪れる町、オラクルベリーにカジノは存在する。つまりストーリー的にはもっともシリアスに盛り上がったタイミングでカジノに行けるようになるわけである。

 で、まあそりゃ目の前にカジノがあったら、行くじゃないですか。スロやっちゃうじゃないですか。リアルに徹夜しますよね。ええ。

 結果としてメタルキングの剣4本ゲットしたとしても、40過ぎた大人がゲーム中の架空のスロットで徹夜して貴重な休日を浪費する。まあ率直にいって「虚無」と言ってもいいだろう。

 でもこれこそがドラクエだよなとも思ったりするわけである。ストーリー上でもっとも重くシリアスなタイミングでこそ、能天気で浮かれた町に主人公を行かせて本筋そっちのけでカジノで遊べるようにしてしまう。世界を救うとか、仲間を探すとかどうでも良くなって有り金ぶっこんでカジノでスロットしちゃう。このシリアスとしょうもなさの振れ幅こそがドラクエだよなと。

 久しぶりにプレイする「ドラクエV」は相変わらず面白かったが、同時に歳を重ねることで明らかにパパスや結婚後の二度目の時間経過後の展開に思い入れる自分がいたりして、これまでとは違う面白さもまた存在した。だが、なんだかんだでやっぱりスロットで徹夜しちゃうしょうもない自分とそれを許容するドラゴンクエストの懐の深さが一番印象に残った。

 「ドラゴンクエスト ユア・ストーリー」では後半のある展開で、「虚無」という言葉が主人公に投げかけられ、主人公はそれを否定する。しかし、筆者はその「虚無」という言葉を肯定する。「虚無」すら飲み込み許容するエンタテインメント、それが筆者にとってのドラゴンクエストである。

【ライター:hamatsu】
某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。
Twitter:@hamatsu

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最終更新:8/18(日) 23:30
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