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[寄稿]8月15日の迎え方

8/18(日) 18:00配信

ハンギョレ新聞

 第2次世界大戦の敗北から74年が経った。昭和天皇がポツダム宣言を受諾することを宣言した8月15日は、仏教の儀礼で死者を追想する盂蘭盆の日でもあり、日本では戦争による死者の霊を慰め、平和を祈ることが年中行事のように繰り返されてきた。しかし、日本国内で過去の戦争を正当化する歴史修正主義が吹き荒れ、隣国との関係が険悪化しているなかで、静かに死者を追悼すればよいという時代環境ではなくなった。日本とアジアのおびただしい犠牲者がもたらしたはずの教訓を、今を生きる我々がどう読み取るかが厳しく問われている。

 戦争で死んだ人々の思いは様々だろう。1つの重要な教訓として、吉田満の『戦艦大和の最期』という書物がある。吉田は学徒出陣で海軍士官となり、戦艦大和に乗務して沖縄特攻作戦に従軍し、九死に一生を得て帰還した。その経験を残したのである。日本の敗北は決定的な中での無謀な特攻作戦の出撃前夜、若い海軍士官たちは自分たちが何のために死ぬのか、論争した。臼淵という年長の大尉の言葉「進歩のない者は決して勝たない。負けて目ざめることが最上の道だ。・・俺たちはその先導になるのだ。」が全員を納得させたと吉田は書いている。

 臼淵の言った「進歩」や「目ざめ」を戦後の日本人は実践したのだろうか。確かに、敗戦から50年ほどの間は、憲法9条と平和国家の看板を掲げ、経済発展に邁進し、攻撃的な軍事力を持たない経済大国というモデルを作り上げた。戦争犠牲者の上に日本は平和で豊かな国を作ったというのは、戦没者追悼式典で天皇や首相が繰り返す公式見解である。

 しかし、日本経済が25年にわたって停滞を続け、人口減少が始まる中、根拠のない自民族中心主義や隣国蔑視の議論が広がってきた。あの戦争で日本がアジアの人々にどれだけの犠牲をもたらしたのか。負けるに決まっている対米戦争をなぜ始め、なぜもっと早く敗戦を認めなかったのか。こうした問題を徹底的に直視し、その原因を究明するという知的誠実さは日本政治に欠けていた。戦争を直接経験した人々が生きていた間は、戦争嫌悪の感情を庶民は共有していた。また、日本の軍隊が中国や東南アジアで何をしていたかも、明示的に語らなくても常識であった。経済大国という誇りを維持できなくなり、直接的な戦争経験という支えがなくなると、平和国家のアイデンティティも揺らいでいる。

 あいちトリエンナーレという芸術祭の「表現の不自由展 その後」で慰安婦問題を象徴する少女像が展示されたことを、歴史修正主義の考えを持つ名古屋市長、大阪府知事、市長、さらに一部の国会議員が激しく批判し、芸術祭事務局にも脅迫が殺到して、この展覧会は中止に追い込まれた。元徴用工問題や輸出規制などで日韓関係が険悪化していることに乗じて、一部の政治家が政治的な騒動を起こしたということができる。

 この問題に火をつけた河村たかし名古屋市長は、少女像について「日本人の心を踏みにじる」と述べた。彼は、軍の関与により慰安婦の募集、管理が行われたという日本政府の見解も無視している。河村のように慰安婦の存在自体を否定する者が日本人の多数派であるとは思えない。問題は、このような虚構の主張に与党の政治家も賛同し、それにあおられて暴力をちらつかせて脅迫する人が大勢出てくることである。

 日本という国が過去に犯した罪を直視する議論に「反日」というレッテルを貼り、これを力ずくで黙らせる風潮。これこそ、臼淵大尉が命をもって改めようとした退行であり迷妄である。事実に対する謙虚さと自由を尊重することこそ、戦争犠牲者に報いる道である。

山口二郎・法政大学法学科教授(お問い合わせ japan@hani.co.kr )

最終更新:8/18(日) 18:00
ハンギョレ新聞

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