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耳の聞こえない両親と生きた娘の後悔「私たちは、どのくらいお互いのことを理解できていたんだろう」

8/19(月) 13:17配信

ハフポスト日本版

耳の聞こえない両親のもとに生まれた一人の女性がいる。浅川昭子(56歳)さん。現在は、東京・板橋区で手話通訳の仕事をしている。

本格的に手話を習い始めたのは、両親が亡くなってから。

「私たちは、どのくらいお互いのことを理解できていたんだろうーー」

手話を学び、ろう者のことを知れば知るほど、昭子さんはそんな後悔に苛まれるようになったという。

「私が親を守らなきゃ、強くならなくちゃ、我慢しなきゃ」

昭子さんは、1963年に東京・足立区で父・昭三さんと母・タイ子さんの長女として生まれた。両親はともに耳が聞こえなかった。

「子どものときは、聞こえない親のことがすごく恥ずかしかった」昭子さんは、子ども時代をそう振り返る。両親が使う手話やろう者独特な話し方に、周りの視線が気になった。

「母に電車やバスの中で話しかけられると、すごく恥ずかしくて。『みんなが見てくるから、手話はしないで』って母に言ったこともありましたね」

一方で、聞こえない両親を「かわいそう」と思う気持ちも強かった。

小学校低学年のとき。学校の授業参観で、親子でドッジボールをする企画があった。

「みんなは『危ない』って声をかけあってボールから逃げることができるけど、うちの母親は聞こえないから、ただコートの中を走り回るだけ。それでやっぱり母親にボールが当たっちゃったのね。その姿を見たとき、すごく切なくなっちゃって。かわいそうだな、母親も聞こえれば当たらずに済んだのになって…」

また、昭子さんは今でもある光景を鮮明n思い出す。

賑やかな親戚の輪の中で、ポツンと座る両親の姿だ。両親は、周りが何を話しているか分からないはずなのに「うん、うん」と笑顔で頷いていた。

「そんな姿を小さい頃から見てきて、『両親かわいそうだな』って思いがずっとずっと心の奥にあって。だからこそ『私が親を守らなきゃ、強くならなくちゃ、我慢しなきゃ』って、全面的に弱みを見せたり、甘えられなかったりしたのはあったと思う」昭子さんは言う。

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最終更新:8/20(火) 22:18
ハフポスト日本版

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