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『戦場のピアニスト』ユダヤ人ゲットーを体験したロマン・ポランスキーが原作の映画化を望んだ理由

8/20(火) 14:42配信

CINEMORE

激動のポーランドを描いた真実の物語

 コンピュータの普及と、インターネット通信網の急激な拡充によって、わたしたちの日々の生活は、ここ数年の間だけで、飛躍的な変化を遂げた。人類の戦争史を知りたいというのであれば、手元の端末に指を当てて、さっとなぞらせるだけ。たったそれだけの操作で、ほとんどの過去を知ることができる。ある過去に生きていた人々より、現代に生きるわたしたちの方が、その過去の出来事について、広く熟知できるようになったのだ。

 しかし、である。世界中の映画賞、映画祭を席巻した名作『戦場のピアニスト』(02)は、どんな過去にもアクセスできる現代の我々でさえ、まだ見ぬ戦争の一面があるという事実を、残酷なまでに突き付けてくる。

 『戦場のピアニスト』は、ナチス・ドイツによるユダヤ人の迫害、すなわちホロコーストのまだ見ぬ側面を俯瞰する、史実に準ずる物語だ。1939年9月1日、ドイツ軍は、宣戦布告なしにポーランドに侵攻すると、翌2日には、首都ワルシャワを空襲し、北部のユダヤ人密集地域を集中的に空爆した。さらに同17日、ソ連軍が東ポーランドに侵攻し、同28日には、独ソ境界友好条約が成立。ポーランドは東側をソ連、首都ワルシャワを含む西側をドイツに占領され、ポーランドはほぼ二分された。

 ウワディクこと、ウワディスワフ・シュピルマン(エイドリアン・ブロディ)は、仕事場のポーランド国営ラジオ局でショパンの夜想曲を演奏していた。演奏の最中、爆撃の音とともにラジオ局全体が大きく揺れる。ドイツ軍の突然の攻撃だ。映画冒頭では、世界大戦の口火を切る、ドイツ軍のポーランド侵攻を緊迫感たっぷりに演出し、ウワディクの過酷な運命の幕開けを、爆撃を合図として告げている。その後、わずか数日の間で、ワルシャワはナチスに包囲された。

 ピアニストのウワディクは、占領下のポーランドで数年間、ナチスの迫害に苦しめられることとなる。一切の財産を没収され、急造されたゲットー(ユダヤ人隔離居住区)への強制移住を迫られたのだ。さらに後年、ウワディクとその家族は、別の場所に移送されることとなった。行き先は、ユダヤ人抹殺のための死の収容所だった。期せずして、家族の中でたったひとり、ウワディクだけが助かった。ほかの家族は死の貨車に乗り、一家は離散してしまったのだ。しかし、その後も、ウワディクは、ドイツ軍がワルシャワから撤退するその時まで、戦場と化したポーランドで、生きるか死ぬかの苛烈な運命をたどることになる。

 残酷な迫害を受けたウワディスワフ・シュピルマンは、戦後間もなく回顧録を出版した。この壮絶で奇蹟的な体験は、同じく、ユダヤ系の家庭に育った映画監督ロマン・ポランスキーにも大きな影響を与えた。本作『戦場のピアニスト』は、ウワディクの驚くべき運命を、巨匠ロマン・ポランスキーの辣腕ぶりで、見事映像化した真実の物語である。インターネットでさっと調べる、なんて容易いものではない。この映画を、この映像を観なければ、ホロコーストの全ては語れるはずがないのだ。

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最終更新:8/20(火) 14:42
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