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甲子園の申し子、岸潤一郎にとって高校野球は「必死にやる楽しみを味わえる3年間」

8/20(火) 6:00配信

高校野球ドットコム

 「甲子園の申し子」。この言葉はこの男のためにあるのかもしれない。岸 潤一郎(きし・じゅんいちろう)兵庫県尼崎市出身。西淀ボーイズ(大阪)から明徳義塾(高知)の門を叩くと1年夏(2012年・ベスト4)・2年夏(2013年・ベスト8)・3年春夏(2014年・春ベスト8)の計4度甲子園出場を果たし、エースとして6勝。さらに主将も務めた甲子園最終打席でホームランを放ったシーンは当時の「熱闘甲子園」テーマソング「オモイダマ」(関ジャニ∞)と共に記憶されていることも多いだろう。
 そんな岸は今、四国アイランドリーグplus・徳島インディゴソックスの外野手もできる「1番・遊撃手」としてNPB入りの入り口に立つ。では彼にとって「甲子園」とはいったいどんなものだったのか?22歳の彼が改めて当時の「夏」を振り返る。

徳島ISのリードオフマンとして躍動する岸 潤一郎

「先輩についていった」1年夏「思い入れのあった」2年夏

 1年夏の甲子園、緊張はしませんでした。ライトを守っている時以外は(笑)。実は(馬淵 史郎)監督に「新チームから外野もやるぞ」と言われていたんですが、甲子園の時までは練習もしていなかったんです。

 しかも高知大会で僕は熱中症にかかって試合もほとんど出られていなかったし、先輩たちが頑張ってくれたお陰で出ることができた。ベスト4にまではいけましたけど、先輩たちについていっただけで勝手に結果がついてきた。長いようで短く終わった大会でした。

 2年夏は個人的には一番思い入れがあった大会でした。1年秋は高知大会の準々決勝で負けて(vs高知南)、春も四国大会に出られず。サイドスローにも一時転向しましたし、明徳義塾人生の中では底辺の時期だったんです。だから高知大会前は「本当に勝てるのか」と不安だったんです。そこから結果、甲子園出場して大阪桐蔭にも勝って、ベスト8まで行けた。「下から這い上がった」という感じでした。

 準々決勝・日大山形戦は当時は感じませんでしたが、実際には疲労があったんだと思います。練習試合から投げて「自分がエースだ」という意識は常にあったんで。

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最終更新:8/20(火) 8:55
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