ここから本文です

脱北支援先の中国でまさかの身柄拘束──。失意のどん底で味わった「獄中メシ」は意外にも……

8/20(火) 15:21配信

メシ通

「脱北」という言葉が日本社会に浸透してどれほどの時間が経つだろう。「北朝鮮国境を越えて命からがら逃げてくる行為」を意味するのは今さら説明するまでもあるまい。
現在、ライター・編集者として活動する野口さんは、かつて脱北者を支援する団体のメンバーとして活動していた。
脱北者を連れて中国を南北に縦断、東南アジアまで南下したのち最終的には日本へ送り出す。そんな危険極まりない行程を重ねるうち、あるとき最悪の事態を招いてしまう。脱北者たちの食事情や、異国の地で彼の命をつないだ食事とは。

国境なき医師団の看護師に聞いた「紛争地の知られざる食事情」

話す人:野口孝行(のぐち たかゆき)さん。1971年、埼玉県生まれ。大学卒業後、メーカー、商社勤務を経て2002年に北朝鮮難民救援基金に参加し、脱北者支援活動に携わる。 その模様を描いた初の自著『脱北、逃避行』(新人物往来社、のちに文藝春秋)が2011年、第42回大宅壮一ノンフィクション賞の候補に。

脱北者はなぜかカレーライスを食べたがる

まずは時計の針を2003年に戻そう。当時、元在日朝鮮人の脱北者と呼ばれる人々が、中朝国境近くにたくさん出現していた。というのも1990年半ば以来、北朝鮮は深刻な食糧難に襲われていたからである。脱北者の中には日本で生まれ育ちながら1950年代以降、北朝鮮へ渡った在日朝鮮人とその家族も少なからずいて、日本への「帰国」を切望する者も少なくなかった。

野口孝行さんが安定したサラリーマン生活を辞め、脱北者の支援活動に身を投じはじめたのが2003年。「誰かがやらなくてはならない。自分にも何かできることがあるはずだ」という義憤にも近い動機が彼を突き動かした。
その年の6月、彼は脱北してきた日本生まれの姉妹(姉40代、妹30代)を助けるため、中国東北部の都市ハルピンへと赴く。中国国内に潜伏中だった脱北姉妹を日本人観光客になりすませ、中国国境を越えて東南アジアまで連れて行き、最終的にはカンボジアから日本へ帰国させるのが野口さんのミッションだった。
その一部始終は彼の著書『脱北、逃避行』に譲るとして、脱北者に関して食にまつわる興味深いエピソードがある。それは脱北してきた人間に何か食べたいものはあるかと野口さんが尋ねると、皆こぞって「カレーライス」と答える点だ。

野口さん(以下敬称略):これまで十数人の脱北者に会っていますが、だいたい皆さん「カレーライスを食べたい」「カレーライスが懐かしい」と答えますね。これは彼らの家族が北朝鮮に渡った1950年代から1960年当時、カレーライスが庶民の日常食になっていたのが理由かもしれません。当時はまだ家庭に冷蔵庫がまだあまり普及してなかったからでしょうか。その点、カレーライスは野菜と肉があれば簡単に作れるし、材料の保存が利きやすい。だからカレーといっても脱北者が懐かしがるのは母さんが家で作ってくれたカレーライスですね。僕がお世話をした姉妹の場合は「ハウスのバーモントカレー」と銘柄まで指定してきましたから。

北朝鮮とカレー。確かに、イメージとしてはどうにも結びつかないものの、記憶と味覚の強い関連性を痛感せずにはいられない。
にしても、件の姉妹はまさかカレーそのものを北朝鮮でまったく食べていなかったということだろうか。

野口:中国製のカレーは手に入るけど「粉っぽくて味も薄い」と言ってましたね。なにせ今ならまだしも、昔の中国製ですから。完全に別物だと思います。何より、日本で食べた思い出という調味料が加わってくるわけじゃないですか。

そんな脱北者たちは「北」でいったいどんな食生活を送っていたのだろう。

野口:食生活のレベルはかなり幅があると察しました。ただ、日本で育って北朝鮮に渡った人たちは比較的裕福だったようです。日本から財産を持って来ているし、日本の親戚とか知り合いから送金してもらったり、物を送ってもらったりしている人が多いし。日本人ほど豊かな食生活というわけではないが、食うこと自体に苦労するほどではない、という感じでしょうか。日本でよく報道されていた「餓死者」は、元在日の人々に限って言うなら、ほんのごく一部のようですね。

1/7ページ

最終更新:8/20(火) 15:33
メシ通

こんな記事も読まれています

あなたにおすすめの記事