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《ブラジル》アマゾン90年目の肖像 =「緑の地獄」を「故郷」に=(1)=唯一の第一回移民、山田元さん

8/20(火) 6:01配信

ニッケイ新聞

 1929年9月22日、42家族、単身者9人の189人(トメアスー開拓70周年記念史より)がトメアスー移住地(旧アカラ植民地)に入植した。それから90年が経った今年、アマゾン日本人移住90周年祭を控える北ブラジル。数々の苦難に見舞われたアマゾン移民の軌跡が残るその地では、かつての厳しい時代を乗り越えた移住者とその子孫たちが立派に活躍している。一足早い7月末、祭典の準備に追われるベレン、トメアスーに6日間滞在し、その様子を取材した。

 パラー州トメアスー郡で7月25日午後、今回の旅で最も重要な人と会う約束をしていた。トメアスー文化農業振興協会とトメアスー総合農業協同組合がある中心地、クアトロ・ボッカス(十字路)の近くに、その人の家はある。
 29年7月24日、神戸港で「もんてびでお丸」に乗った第一回入植者は、9月7日にリオ・デ・ジャネイロに入港した。一行は「まにら丸」へと乗り換え、同16日にベレン着、22日にアカラ河を遡行した船がトメアスー植民地の桟橋に到着した。
 その中で唯一存命で、今も、最初に割り当てられた土地に住むのが、入植当時2歳だった山田元さん(92、広島県、帰化人)だ。
 「さすがに2歳の頃は覚えていないけれど、5歳からの記憶はあります。自分の生まれた家の住所も覚えていますよ」。スラスラと淀みなく暗唱する元さんの記憶力は、驚くほど良い。
 「記憶は朧げ」と言いつつも、「5歳の時は、家の周囲にカカオを植えていました。最初は南拓の指導が悪かったというかね。周囲が藪だから、クチア(ネズミの一種)が発芽したカカオを全部食べてしまったんですよ。最初は全部失敗だった」と振り返る。
 入植時、2歳だった元さんの家族は父義一(31)、母スエノ(同)、次女三江(7)、長男元(2)の4人。長女文江と三女八重子は広島県に残し、母は四女すみれを身籠っていた。
 男手は父親のみの環境で育った元さんは、小学校の頃から農作業を手伝っていた。「学校では、毎日取っ組み合いの喧嘩をするやんちゃ坊主でしたよ」と笑うが、小学校卒業後は進学せず、労働力として一家を支えた一人だった。
    ☆
 1923年、時のジオニジオ・ベンデス・パラー州知事がリオの日本大使館を訪れ、田付七太初代駐ブラジル大使に「勤勉な日本人を入れて開拓してほしい」と提案したことからこの計画は始まった。対する田付大使は、レイス法案(日本移民入国制限法案)が台頭してきたため、全ブラジルに日本人移民を入植させようと考えていた。
 こうしてベンテス州知事の提案から始まり、日本政府はアマゾンへ調査団を派遣。その結果、邦人のアマゾン地域開発が決定し、28年に新事業のために南米拓殖株式会社が誕生した。
 そこから半年が経った頃に募集が始まり、第一回目のアカラ植民地入植者が決定。29年7月24日に神戸港から出発し、9月22日についにアカラ植民地に到着した。(つづく、有馬亜季子記者)

最終更新:8/20(火) 23:41
ニッケイ新聞

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