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『表現の不自由展・その後』について橋下氏「津田さんは“行政の中立性“をわかっていなかった」、三浦氏「津田さんと同じような政治的主張だった人たちが叩いている」

8/20(火) 10:00配信

AbemaTIMES

■三浦氏「理解も共感も呼ばなかった」

三浦瑠麗氏は、政治家による一連の発言について「芸術の質を判断したり、好き嫌いでどの作家を選ぶかに口出しをしてはいけないし、どのプロセスでどういった発言であれば良くて、何をしたら一線を越えたことになるのかという議論をしないといけない」と話す。

 そして、「津田さんがブログのような形でプロセスを説明しているが、2015年に行われた同じテーマの展示についてコンセプトが良いと思った津田さんが“同じようなことをしたいからやってください“と依頼したところから始まった。ただ、作品を選ぶ権限は『表現の不自由展・その後』の実行委員側にあったし、そこには元々恣意性や政治性もあった。だから会田誠さんやろくでなしこさんの作品などは入っていなかったし、そこが世間の怒りを買うことにもつながった」と指摘。

 「結局のところ、日本のアーティストというのはほとんどが左翼で、私のように国際政治や戦争を研究しているというだけで非難をする、偏向した世界だし、現代美術の作品には今回の展示のようなものはいくらでもある。だけど人々に考えさせようとか、反戦平和を願う心は真摯なもの。だから良い作品であれば良いし、それは見る側が決めること。ただ、多くの人はそういう作品には慣れていないのでビックリしたんだと思うし、そういう反応への危機管理がなっていなかったということ。加えて政治利用されうるものを“芸術作品として見られますよね“として出したことも意図としてはわかるけれど、それは似たような意見の人しか集まっていないから成り立つじゃないかとなっただけで、実際は理解も共感も呼ばず、多くの人々の憎悪をかきたてることになった。それでも自分たちは正しいと思っているからこそ、その表現を守ろうとした。誤解してはいけないのは、政治問題を扱ってはいけないということではないし、『あいちトリエンナーレ』に出ていた他の政治的な作品はハレーションを起こしていないということ。それが何故なのかを良く考えてほしい。教育効果もなく、憎悪しか呼ばず、しかも偏っていたのに、“表現の不自由“という憲法に関わる命題を置いた。しかも自分たち自身がそれに反しているから、批判を浴びた。日本国民の多くが嫌だと思うような作品は、結果的には持続できないと思う。例えばプロパガンダとして利用された藤田嗣治の戦争画など、重厚で素晴らしい作品を日本人が葬った歴史を出すとか、見せ方はいくらでもあったはずだ」と訴えた、

 また、三浦氏は友人だという津田氏について「今、ものすごい集中砲火を浴びていて、かわいそうだとすら思う。私が理解できないのは、津田さんと同じような政治的主張をしていた人が、彼をボコボコに叩いていることだ」とも話していた。

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最終更新:8/20(火) 12:36
AbemaTIMES

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