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藩政期の花瓶、100年ぶり戻る 福井から金沢・常福寺に「寄贈」

8/20(火) 0:49配信

北國新聞社

 藩政期に制作され、金沢市小将町の真宗大谷派常福寺に寄進されたとみられる銅製の花瓶が、少なくとも100年ぶりに寺に戻った。寺から流出した経緯は不明だが、代々所有していた福井市の青山昭子(てるこ)さん(90)の親族が、花瓶の足に記された銘文から常福寺を探し出して再び「寄贈」した。寺関係者は思いがけず手元に届いた貴重な資産について、制作者や寄進の背景などの調査を進める。

 銅製の花瓶は、高さ31センチ、幅45センチで両端に耳を持つ特徴的な形状をしている。花瓶の足部に刻まれた漢文で1686(貞享3)年4月12日に「釋妙智」とされる人物の一周忌にあたり、花瓶を寄進したと記されている。

 青山さんによると、花瓶は代々庄屋の家であった青山家の当主が1897(明治30)年ごろ、購入したものと伝えられている。義父母から大切なものだと教えられてきたという花瓶は、戦中の金属回収令も免れ、保管されてきた。

 花瓶には「加州金澤常福寺」と刻まれており、青山さんの次女泰子さん(58)の夫義弘さん(57)が、浄土真宗の法名に用いられる「釋」の字と寺の名前を手掛かりに、「寄進した人の気持ちを考えると、寺に返すのが一番いい」と常福寺に連絡した。

 常福寺の北方祐之住職が郷土史家の中田隆二さんに調査を依頼したところ、寄進者として明記されている「釋祐知」の名を寺の寄進帳の中に発見。常福寺の門徒の1人で亡くなった妻のために寄進したとみられるという。

 花瓶の底面には「佛具屋重次(しげつぐ)作」という制作者の銘が残っているが、中田さんの調査によると該当する人物は同時代の金沢や銅器制作が盛んであった高岡では確認されず、京都の仏師に依頼して作らせた可能性が大きい。

 7月中旬に青山さんと泰子さん、義弘さんが花瓶を持って常福寺を訪れた。青山さんは「元いた場所に返すことができ、すっきりした。花瓶も喜んでいるような気がする」と笑顔を見せた。

 北方住職は長年旅に出ていた花瓶を前に「門徒さんの見えるところに飾り、ご縁に感謝したい」と話している。

北國新聞社

最終更新:8/20(火) 0:49
北國新聞社

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