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「一部の犠牲 やむを得ぬ」 昭和天皇、米軍駐留巡り 1953年記録 沖縄を切り離す「天皇メッセージ」と通底

8/21(水) 8:05配信

沖縄タイムス

 【東京】初代宮内庁長官を務めた故田島道治が昭和天皇との詳細なやりとりを記録した資料「拝謁(はいえつ)記」の中で、1950年代に日本国内で基地反対闘争が激化しているさなか、昭和天皇が53年11月24日の拝謁で「一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬ」との認識を示していたことが20日までに分かった。拝謁記の中で昭和天皇は国防は米軍に頼らざるを得ないとの考えを度々言及している。識者は「戦後にロシアの共産主義の脅威を恐れ、米国が琉球諸島を軍事占領することを求めた47年9月の『天皇メッセージ』を踏まえたもの」と指摘する。

 遺族から提供を受けたNHKが記録を公開した。53年11月24日の拝謁で「基地の問題でもそれぞれの立場上より論ずれば一應尤(いちおうもっとも)と思ふ理由もあらうが全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲ハ已むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事ニしなければ国として存立して行く以上やりやうない話」と記されていた。

 また53年5月25日の拝謁では当時、石川県内灘などで米軍基地反対闘争が起きており、「小笠原でも奄美大島でも米国ハ返さうと思つても内灘でも浅間で貸さぬといはれれば返されず、米国の権力下ニおいてそこでやるといふ事になる。米国の力で国防をやる今日どこか必要なれば我慢して提供し小笠原等を米国が返すやうにせねばいかんと思ふのに困つた事だ」とした。

 53年6月1日の拝謁では「平和をいふなら一葦帯水(いちいたいすい)の千島や樺太から侵略の脅威となるものを先(ま)づ去つて貰ふ運動からして貰ひたい 現実を忘れた理想論ハ困る」と発言したとされる。

 沖国大名誉教授の石原昌家氏は「米軍への思いやり予算や辺野古の新基地建設を巡る政府の姿勢にもつながる」などと指摘した。

 昭和天皇の米軍基地反対闘争への発言

 全体の為ニ之がいいと分れば一部の犠牲ハ已(や)むを得ぬと考へる事、その代りハ一部の犠牲となる人ニハ全体から補償するといふ事ニしなければ国として存立して行く以上やりやうない話

(1953年11月24日発言の抜粋)

最終更新:8/21(水) 17:55
沖縄タイムス

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