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「国司館跡」で多数土器片 小松・古府シマ遺跡 平安末期

8/21(水) 0:55配信

北國新聞社

 平安期の加賀国(かがのくに)の中心地、加賀国府が置かれたと伝わる小松市古府(こふ)町の遺跡から、平安末期(12世紀)の土師器(はじき)の破片が多数出土したことが20日、県埋蔵文化財センターへの取材で分かった。出土場所は地元で「タチ」と呼ばれ、当時の地方行政のトップ、国司(こくし)の居宅である「国司館」だった可能性がある。センターは「加賀国府一帯の遺構を解明する糸口になる」(担当者)としている。

 加賀国は平安前期の823年に越前国から分割して成立した。国府は中央政府が地方を治める拠点として設けた役所で、文献などから小松市の古府、小野両町付近が設置場所として有力視されているが、特定には至っていない。

 土師器が出土したのは「古府シマ遺跡」で、埋文調査は近くを流れる梯川の護岸改修工事に合わせ、昨年から進められている。

 センターによると、これまでの調査で、遺跡の中央部約500平方メートルにわたって平安末期の地層が確認され、数千個の破片が見つかった。破片をつなぎ合わせると皿になり、底部はほとんどが糸で切断したような「糸切り底」で、この形は平安期に作られた土師器の特徴とされる。

 昨年には、2023年の加賀立国1200年に向けた小松市埋蔵文化財センターの調査で、遺跡の北東にある石部(いそべ)神社の境内から平安後期(11~12世紀)の土師器の破片が多く見つかった。同神社は「府南社(ふなんしゃ)」と呼ばれ、国府の南に位置する総社(そうしゃ)だったと推測されている。

 総社は国司が参拝した神社の呼称で、11世紀に国内の祭神を合祀(ごうし)して国府の近くに設けられた。皿は当時、神事で酒をついだり塩を盛ったり、明かりをつける目的で使われたとみられる。

 今回、国司館だったと考えられる古府シマ遺跡からも同様の破片が多数確認されたことで、一帯が加賀国府に関連する遺構である可能性がさらに強まった。

 破片が出土した平安末期の地層の上層部には、鎌倉期から室町期にかけての集落跡があり、県埋文センターはこの遺構の調査を経て来年度、平安末期の地層の詳しい調査に入る。25日にこれまでの調査に関する現地説明会を開催する。

北國新聞社

最終更新:8/21(水) 0:55
北國新聞社

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