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松井秀喜が甲子園で対戦した名選手ズラリ!星稜の夏の対戦校には、必ず良きライバルがいた

8/22(木) 12:16配信

高校野球ドットコム

これまでに星稜が夏の甲子園でベスト8以上まで勝ち上がったのは、1976年、1991年、1995年の3回。その時のレギュラーメンバーは、その後、プロ入りした選手も多くいるが、高校野球の監督となって、甲子園出場に導いている名指導者も存在していることが分かった。

【1976年 ベスト4】スピードガンの申し子・小松が登場!対戦した選手も元プロ、高校野球監督などがずらり

 当時、スピードガンの申し子と呼ばれた速球投手・小松辰雄(元中日)を擁してベスト4入りした星稜。小松投手は全4試合完投。そのうち2試合完封。36イニングで計6失点、28奪三振と素晴らしい成績を残した。まだ、2年生だった小松投手は最終学年の活躍を期待されたが、1977年のセンバツ、選手権では初戦敗退で終わっている。

 1976年で対戦した選手の中には好選手が多く、3回戦で対戦した天理はエースの福家雅明がいた。小松と同学年で、その後、阪神でプレー。現在はテレビディレクターとして活躍している。春季キャンプでは阪神のリポーターとして登場するなど、引退後も阪神ファンからの人気が高い野球人だ。

 準々決勝で対戦した豊見城のエース・赤嶺賢勇はその年、巨人に指名された好投手。そして準決勝で対決した桜美林のエース・松本吉啓は、その後、埼玉栄、千葉経大附の監督を務め、千葉経大附時代は、春夏通算5度の甲子園出場に導き、丸 佳浩(現・巨人)を育てている。

【1991年 ベスト4】松井秀喜の在学中に甲子園で最高戦績を収める!

 その後、1981年~1984年まで春夏どちらかで甲子園にコンスタントに出場してきた星稜。1989年からは3年連続で出場を果たすなど、甲子園常連校になりつつあった。高校時代に、4度の甲子園出場を決めているゴジラ・松井 秀喜にとっては、1991年の甲子園は、最高戦績を収めた大会でもあった。この年、松井だけではなく、好左腕・山口哲治も高校生トップレベルの左腕として活躍していた。現在、星稜の指揮を執っている林和成監督は、松井の一学年下の後輩である。

 松井は3回戦の竜ヶ崎一戦では甲子園初アーチをかけ、準々決勝の松商学園戦では3対2と勝利を収めているが、松商学園には1991年の選抜準優勝投手で、エース・上田佳範がいた。上田はプロ入り後、投手から野手に転向し、日本ハム、中日でプレー。強肩巧打の外野手として1027試合にも出場した名プレーヤーとして活躍。引退後は中日のコーチを経て、現在は横浜DeNAの一軍外野守備走塁コーチとしてチームを支えている。

 準決勝では、初出場の大阪桐蔭に敗退。大阪桐蔭は初出場ながら、この年の甲子園で優勝を収めるが、これが常勝軍団・大阪桐蔭の始まりとなった。

 当時の大阪桐蔭には4番・萩原誠がいて、のちに阪神入り。星稜戦で1失点完投勝利を挙げた背尾 伊洋は、その後、近鉄入りしている。

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最終更新:8/22(木) 12:47
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