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両家の“確執報道”の真相も初告白…高嶋政宏と高嶋ちさ子が高島忠夫への思いを語る

8/22(木) 22:04配信

FNN.jpプライムオンライン

ヴァイリニストとして、年間約100本のコンサートを行う傍ら、バラエティーなどでも活躍する高嶋ちさ子さん。

【画像】25年ぶりの食事!再会を果たした高嶋ちさ子と高嶋政宏

前回の放送では、ちさ子さんのコンサートへのこだわりや、ずっと支えてくれた母親の存在について明かしてくれた。

8月22日放送の「直撃!シンソウ坂上」(フジテレビ系)では、名司会者として一時代を築いた高島忠夫さんへの思いを、姪であるちさ子さんと、息子で俳優の高嶋政宏さんが語った。

肉好きのちさ子さんのために、政宏さんオススメのお店で再会。2人が食事をするのは25年ぶりだという。

2つの高島家の中で特に仲が良かったというちさ子さんと政宏さん。政宏さんから子どもの頃のちさ子さんについて、「こましゃくれてるんだけど、かわいい子って感じで、美人だなと思っていた」と明かされると、「知らなかった」と驚くちさ子さん。しかし政宏さんが「いとこながら、ドキドキしていた」と告白されると、「気持ち悪い」と苦笑い。

そんな2人が今回、今年6月に亡くなった忠夫さんへの思いをテレビで初告白。ちさ子さんはこれまで、公にコメントすることを控えてきたが、ちさ子さんによるとその理由は「おじちゃまの取材とかいっぱい来ていたけど、知らない人に話すより、バーブ(政宏)にする方が絶対にいいと思ってしなかった」と明かした。

政宏さんを「バーブ」という独特なあだ名で呼ぶちさ子さん。その理由は「バーブが生まれた時に、ウチの姉が『政宏くん』って呼べなくて、『バーブ、バーブ』って言ってたら『バーブ』になった」とのこと。ちなみに、弟の政伸さんのことは「あーちゃん」と呼んでいるという。

海外ロケで遺書を書いた!?

神戸生まれの忠夫さんは、1951年に上京して芸能界入りし、21歳で俳優デビュー。映画『坊ちゃん』シリーズで主役を張ると一躍名をはせた。

そして、『ゴールデン洋画劇場』での映画解説や、当時絶大な人気を誇ったバラエティー番組『クイズ・ドレミファドン!』の司会を務め、誰もが知る人気者となった。

ゲストの薬丸裕英さんは「『クイズ・ドレミファドン!』で本当にお世話になった。僕、強かったので優勝することも何度かあったが、高島さんがそれを褒めてくださって、『アイドルをやりながら、これだけ曲を覚えられるのがすごい。これは一つの才能』と言われて、すごく嬉しかった思い出があるんです」と振り返った。

1963年、番組の共演がきっかけで交際していた当時の宝塚歌劇団トップスター・寿美花代さんと32歳の時に結婚。1965年には政宏さん、翌年には弟の政伸さんも誕生し、芸能界一のおしどり夫婦としてお茶の間に親しまれた。

両親が大スターだったため、家族でのテレビ出演も増えていき、“高島ファミリー”と呼ばれるように。政宏さんたちは芸能界デビューする前から、家族で海外ロケに行くこともあったという。

例えば、忠夫さんが大ファンで、1980年代に『黒い瞳のナタリー』を大ヒットさせたスペインの世界的歌手、フリオ・イグレシアスに会いに行くという番組。

そこには、憧れの歌手に会えたことでテンションが上がりまくる忠夫さんが、2人だけで夢のような時間を過ごしたいがあまり、息子たちをその場から追い出すほど興奮している映像が残っている。

しかし、この海外ロケの裏では死をも覚悟した話し合いがあったという。
忠夫さんが飛行機嫌いだったことから高島家では海外旅行も禁止だったと明かした政宏さんによると、「ある時、フジテレビの厚意でフリオ・イグレシアスに会いに行けることになって、『死んでもいいから行こう』って言うので、みんなで遺書を書いて。弁護士事務所に渡して、弁護士の判をもらって、4人で乗ると一家全員何かあったらいなくなるから、飛行機の便を二手に分けた」という。この“命懸け”なエピソードを聞き、ちさ子さんは目を丸くしていた。

一方、ちさ子さんは忠夫さん一家が芸能界で大活躍していた頃、「バーブたちがデビューした時に、『迷惑にならないように、あの子たちの足を引っ張っちゃいけない』ってウチの父がいつも言ってた。悪いことしたら『いとこが!』って言われちゃうから」と親戚ならではの注意をされていたことを明かした。

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最終更新:8/22(木) 22:04
FNN.jpプライムオンライン

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