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「沖縄に寄り添い殉職」 翁長前知事を偲ぶ会 死去から1年、功績語る 

8/22(木) 18:30配信

沖縄タイムス

 在任中の昨年8月8日に膵臓(すいぞう)がんで亡くなった沖縄県の翁長雄志前知事=享年(67)=を「偲ぶ会」が22日、豊見城市の沖縄空手会館で開かれた。友人、知人ら約千人が「県民の心を一つに」「イデオロギーよりアイデンティティー」と訴え、沖縄の振興、発展に尽力し、沖縄に基地の集中する理不尽さに異を唱えた翁長氏の功績を振り返った。

 実行委員長の呉屋守將金秀グループ会長は「かけがえのない大政治家で、どこかに劣等意識を持っていた県民の考えに対し、潮目の変化と夜明けを印象付けた。保革を超え、県民一丸となり、万国津梁の夢を再現することを心から願っているはずだ」とたたえた。

 玉城デニー知事は「翁長さんは経済、幸せ、平和の三つの視点から沖縄の未来を切り開くためのさまざまに取り組んだ。沖縄の過重な基地負担の現状を広く国内外に知らしめ、辺野古に新基地を造らせないという民意を強く訴えた。入域観光客数の増加、雇用情勢の改善など経済面でも多くの成果を上げた。子どもの未来県民会議を設立するなど子どもの貧困問題解決にも心血を注いだ」と振り返った。

 また「誇りある豊かな沖縄、沖縄の発展のために奮闘した姿は誠実で温かい人柄とともに私たちの胸の奥に刻まれている。今後とも翁長さんの思いを受け継ぎ、辺野古新基地建設問題の解決や過重な基地負担の軽減、子どもの貧困対策などの課題解決に全身全霊で取り組むことを誓う。これからも天国から安らかに沖縄を見守っていただきたい」と語った。

 市議、県議として同じ道を歩み、副知事として支えた浦崎唯昭さんは「翁長さんと長く濃密な関係があり、場面場面での出来事が走馬灯のようによみがえっている。日本の将来や沖縄の処し方と現実を忌憚(きたん)なく語り合った。何事にも変えられない懐かしい思い出。いまだ喪失感で心にぽっかりと穴があいたままである」と述べた。

 さらに「最後まで県民に寄り添ったことはまさに沖縄に殉職したと言える。翁長政治の真骨頂は平和、県民の心一つに、わが身を捨ててこその三つである。思い出は尽きないが、重い荷物をおろしてゆっくりしてほしいと声を掛けたい。副知事の退職辞令交付式での知事の涙が忘れられない。いずれあの夜で少年のような笑顔の翁長さんに会えることを楽しみにしている」と語った。

 那覇高校の同期生で、後継となった城間幹子那覇市長は「思い出はたくさんある。歌が上手、特に『嵐を呼ぶ男』は台詞も上手だった。栄町の市場で裕次郎の声で那覇市歌を歌った。高校時代からの沖縄に対する思いがぶれることはなかった。同期生で討論しても『ちゃーすがうちなー』と語り合った。千の風になって沖縄の空に、日本の空に、世界中に吹き上がってほしい。玉城知事の上にも翁長さんが千の風になって吹き注ぎ見守ってくれるように」と話した。

 妻の樹子さんは「彼には政治しかなかった。プロポーズの言葉も、どういう道をたどっても『政治家になりたい』だった。市議時代は青春そのもので午前2時、3時に帰ってきたが、市長時代は『外で時間を過ごすと体が持たない』とまじめに帰ってくるようになった。毎日夕飯を作ることになって、大変だった。それまでは目標を達成し、喜びにあふれていた」と回顧。

 続けて「でも、知事時代はそのかけらもなかった。あんなによく笑う人が4年間本当に笑わなかった。本人は怒りより、沖縄の人の思いがどうして伝わらないのか、という悲しみが大きかった。悲しみにあふれていた。晩年の翁長は言っていた。どんなに頑張っても政治家は使い捨てだからな、と。あんなに頑張っている彼が政治家は使い捨てという言葉を使い、女房として悲しくてつらかった。亡くなってから1年、いろんなことがある中で、皆さんが翁長を偲ぶためにたくさん集まってくれたことを仏前に報告したい」と話した。

最終更新:8/23(金) 16:35
沖縄タイムス

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