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忘れ去られた「国家売春」の過去

8/23(金) 13:32配信

47NEWS

 戦災で親や家を失い途方にくれている女性たちにとって、住む場所だけでなく、食べる物も着る物も支給してくれるとはありがたい。まさか売春が仕事とは思わず、第一次募集だけで千人以上も集まったという。

 神奈川県では警察部保安課が挙げて取り組み、横浜や横須賀など県下23カ所に慰安施設を設けた。その一つはマッカーサーが来日直後に執務室として使ったホテルニューグランドの目と鼻の先にある互楽荘。400室もあるモダンなアパートメントだった。

 小町園にも互楽荘にも占領軍将兵が長蛇の列を作った。それでも米兵による多数の強姦・強盗があったことが記録されている。

 ところが、慰安所に並ぶ兵士たちの写真が米国のメディアで報じられたことから、米国の留守家族や女性団体からの抗議が司令部に殺到。性病もはびこったため、GHQは46年1月、各地の慰安所を「オフ・リミット」にした。「国体護持の女」は放りだされ、許可を受けた集娼(しゅうしょう)地域に流れるか、「パンパン」「闇の女」と呼ばれる街娼(がいしょう)になっていった。

 歴史上、戦争で負けた国はたくさんあるが、政府と警察が主導して占領軍相手の売春施設をつくった国は聞いたためしがない。日本は明治以来、公娼(こうしょう)制度を設け、軍隊の行く先々に慰安婦を伴って当然とした国である。男性それぞれが自分の所有物とみなしている妻・娘・良家の子女たちに害が及ばないように、一部の女性たちの性を犠牲にしたことになる。

 日本の女性団体も黙っていたわけではない。明治時代から廃娼運動をしてきた日本基督教婦人矯風会が内務省にRAAの廃止を求めた。だが、それは慰安婦の存在が「国家の恥辱」だからという理由であって、彼女たちの人権問題とはとらえていない。女性たちは分断されていたのだ。

 正史はこの国家売春の過去を顧みない。敗戦後の混乱期のこととして忘れ去り、消し去っているかに見える。

 だが、今もセクハラなどの性暴力がまかり通っているのは、こうした過去に真摯に向き合ってこなかったからではないか。自分の生と性をどのように生き、他者のそれをどのように尊重するか。重い教訓が含まれているはずだが。(女性史研究者・江刺昭子)

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最終更新:8/26(月) 14:37
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