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「自分だけ生き残り、すまない…」 亡き友に祈る 知らなかった兄の死の真実 75年も癒えぬ悲しみ

8/23(金) 13:55配信

沖縄タイムス

 学童疎開船「対馬丸」が沈められて75年の慰霊祭が営まれた那覇市若狭の小桜の塔は、鎮魂と平和を願う祈りに包まれた。噴き出る汗もそのままに碑をじっと見詰める人、目を閉じ時折涙を拭う人、犠牲者と同じ年頃の子や孫の手を握る人。それぞれが癒えない悲しみを胸に、記憶の継承を誓った。

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 いかだで3日間漂流した那覇市の知名美智子さん(81)は、一緒に乗った父を亡くした。「水が欲しい」「眠い」と言って海に沈んだ人々の姿。生き残ったことが後ろめたい日もあったが「今は子どもに恵まれ、生きていて良かったと思う。来られる間は手を合わせに来たい」。

 南城市から参列した生存者の久高将吉さん(86)は「亡くなった友だちに話し掛けたくて。自分だけ生き残り、今でもすまない気持ちだ」と声を詰まらせる。「できるだけ長く生き、対馬丸のことを伝えていきたい」と誓った。

 兄と姉を亡くした那覇市の本永幸子さん(80)は母から2人の死を聞けず、親戚から知らされた。「亡くなるまで記念館への寄付に積極的だった母の思いも引き継ぐつもり。戦は絶対許せないから」と力を込めた。

 兄が犠牲になった沖縄市の稲福晃さん(67)は戦時中のかん口令に触れ、「戦後も母は兄のことを一切語らず、対馬丸で亡くなったとは姉から聞いた」と振り返った。「軍の方針で子どもが犠牲になることは悲しい。平和のため、戦後世代も語り継ぐ必要がある」

 「ここに来ると涙しかでない」と声を震わせたのは、兄2人を亡くした北谷町の玉城京子さん(71)。孫の百合愛さん(浜川小4年)と華莉奈さん(同1年)は「亡くなった子やお父さん、お母さんの気持ちになると悲しい。もっと遊びたかったはず」と話した。

 母の姉と兄が亡くなった米須智子さん(41)=那覇市=は、学校で対馬丸を勉強したという長女の理紗さん(8)、次女の絢香さん(6)と初めて一緒に参列。「娘たちの時代に戦争が起こりませんように」と願いを込めた。

 焼香が続く祭壇には、糸数裕子さん(94)の手編みレースが敷かれた。引率教師としてただ一人健在だが、高齢で参列できなかった糸数さんの代わりに、参列者の祈りを見守った。

最終更新:8/23(金) 14:55
沖縄タイムス

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