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《ブラジル》経済発展の原動力描く「移民のブラジル」

8/24(土) 1:27配信

ニッケイ新聞

 米国の衛星放送及びケーブルテレビの番組供給会社「ヒストリー(History、歴史)」は、ブラジル独自に新シリーズ「Brasil de Imigrantes(移民のブラジル)」を製作し、8月6日夜にサンパウロ市のユダヤ文化センター(UNIBES)で主要登場人物を集めた記念イベントを行った。
 同企画には50社の候補が挙げられ、最終的に残ったのは6社。移民の生きざまが与えたブラジル経済発展への影響が様々な分野から6話に渡って語られる。
 イタリア系からはパネトーネという祖国の習慣を当地に植え付けたバウドゥッコ家、新しいところではデジタル銀行「Nubank」創立者のコロンビア人移民も入っており、日系からは醤油味噌の最大手メーカー「サクラ中矢」社が選ばれた。

 ブラジルにおいて、原住民以外の国民は、全員が移民の子孫だ。しかも古株は500年以内に移住してきたポルトガル系、アフリカ大陸から連れて来られた黒人系であり、それ以外の大半はここ200年と実に新しい。だからこのシリーズ名は、国のほんの一部を新来者が構成することを伺わせる「ブラジルの移民」でなく、移民自体が国の主役である「移民のブラジル」となっている。
 しかも国全体に大きな影響を与えてきた、もしくは与えつつある「移民企業家」がこの新シリーズのテーマであり、この国の経済を動かすエンジンもまた移民やその子孫であることを如実に表している。
 本来なら12日から放送開始予定だったが、ボウソナロ大統領がANCINE(国立映画局)を首都移転させる新方針を打ち出したために局内が混乱し、保留されている状態だ。放送日が確定し次第、別途伝える。

味噌、醤油をブラジル社会に広めたサクラ中矢

 「立派な方々と同列に選んでもらえて、とても誇りに感じる」と中矢レナート健二社長(74、二世)は本紙取材に満足そうな表情を浮かべた。父・末吉氏が1940年に聖市で醤油・味噌作りを始め、ブラジル社会に日本食を広めた功績が評価された。
 醤油メーカーは国内だけで10以上あると言われているが、中矢氏によれば「ニールセン調査では、数ある醤油メーカーの中でうちが市場の75%以上を占めている」というので寡占状態だ。
 「我々は元々、コロニア向けの日本食調味料製造会社だった。だが、今ではブラジル全土の12万カ所でうちの商品が販売され、圧倒的にブラジル人ユーザーの方が多い。それだけ日本食がブラジル社会に受け入れられた。多少は、そのお手伝いができたのではと思う」と語った。
 ブラジル製醤油の特徴は、日本のよりも甘味が強く、少しトロリとしていること。日本の刺身醤油に近い。その理由は原料の違いからくる。中矢さんは「日本や北米では一般的に、醤油の原料は大豆、麦、塩、水です。父の時代には麦が入手しづらかったので代わりにトウモロコシを使った。成分にタンパク質が必要だったんです。そのため、トウモロコシが甘味を強めている」という。
 そのせいで日本側の一部専門家から、「主要成分が違うから、厳密には『醤油』とは言えない」と指摘されることすらあった。だが、「移民の醤油」はブラジルに定着し、圧倒的なシェアを誇るようになった。

日本製VSブラジル製

 当地製で育ったブラジル人消費者の多くは、刺身や寿司にべったりと醤油を付ける習慣がついてしまっている。それを味の濃い日本製の醤油でやると、しょっぱくなりすぎてネタの味を殺してしまう。
 そのせいで、最近の高級寿司店ではスプレーや刷毛で、あらかじめ醤油を少しだけぬってから客に出すサービスをする所もある。本物志向の一部ブラジル人には浸透し始めているが、寿司職人の手間がかかるので店側に負担が大きく、客側にしても自分で付けないと「何かもの足りない」と感じる人もいる。
 そこでサクラ中矢は「Light」という薄味を出し、べったりつけてもしょっぱくならない製品まで作って日本製に対抗した。そんな醤油業界における日本製対ブラジル製のさや当てが続き、本場製品にも関わらず、なかなか当地では浸透しない部分がある。
 中矢氏は「日本製よりも、我々が普段食べている南米の食べ物に合うように調整している。調べてみたら、ヤキソバとかで使うだけでなく、一般家庭で牛肉や鶏肉を醤油で味付けする人が増えている。焼いた時に色がついて、香ばしい匂いもする。中にはご飯にかける人もいるんですよ」とラテン市場で消費が伸びている理由を説明する。
 むしろ今では、麦が入っていないためにグルテンフリーである点が、「日本製より健康的」と一部で評価されているという。さらに使用している大豆に関しても「僕らは遺伝子組み換え大豆を使わないので、EUでも受け入れられ、輸出が増えている」という。
 「グルテンフリー」とは、小麦などの穀物のタンパク質の主成分であるグルテンを除去した食品のこと。もともとグルテン除去食は小麦アレルギー(食物アレルギー)や代謝不良(グルテン関連障害)等を改善するための食事療法だったが、現在では一部のレストランや食品にも取り入れられている。
 「ブラジルの日本食」は移民が手作りした家内製品から出発しているので、最初から南米の現地材料を代替品として使う。その分、「日本の日本食」からは独自の国際化の進化を果たした。その象徴が、日本食に欠かせない醤油だ。

日本食広めるためにブラジル調味料も作る

 父・末吉氏は、日本移民の最盛期1932年に愛媛県から移住した。日本では大原流生け花の教師、墓石を作る石材店などもしていたが、昭和不況に押されて移住を決意し、生活のために1940年にサンパウロ市で見よう見まねで醤油作りを始めたという。当時どこの植民地にも味噌や醤油を手作りして売っている人がいた時代だ。競争は激しかった。
 父の兄がプレジデンテ・プルデンテで1950年に醤油会社を設立し、そこを1976年に吸収合併して現在のサクラ中矢が生まれた。
 生き残った秘訣を聞くと、「父は『良いものを作る』『自分が毎日食べたいものを作る』ことにこだわった人。だから自宅兼工場にして、醸造過程には6カ月かかるが、その間は毎晩、発酵具合を確認するために夜中に2回おきて見回り、麹を混ぜたりしていた。僕も最初の頃は、それをやっていましたよ。子どものころ学校から帰るとすぐに丸大豆の選別を手伝っていました。1990年ぐらいから機械がやってくれるようになりましたが」と笑った。
 レナートさんは1944年9月にサンパウロ市で生まれた二世だ。家内制手工業的だった家業を、企業として巨大化させた立役者だ。機械化して量産化を図り、値段を下げて他社を圧倒していった。
 他社との違いの一つには73年から始めたピメンタ(胡椒)、ウスターソースの製造販売だという。
 「あの頃、醤油と味噌はあくまで日系社会内の消費が中心だったので、ブラジル全土の販売網を作るのが難しかった。そこでブラジル全土で需要があるピメンタ(胡椒)とウスターソース(Molho de Ingles)などの生産もはじめ、ブラジル調味料分野に乗り出して商品の多様化を図った。それがすぐにブラジル人に受け入れられ、一時期はこちらの方が大きな売り上げになっていた。おかげで国内隅々まで商品をいきわたらせることができ、味噌、醤油も広まった」との戦略を明かした。

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最終更新:8/24(土) 1:27
ニッケイ新聞

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