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2坪の焼き鳥屋から 飲食業界カリスマが語る成功の秘訣<前編>

8/25(日) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【ビジネスの発想を学べ!】

フードプロデューサー 山本浩喜さん

 現在、全国に300店以上を展開する「備長扇屋」や「日本橋紅とん」など多くの飲食店を起業し、次々と成功させてきたのが山本浩喜さん。「飲食業界のカリスマ」とあがめられ、5000万円のロールスロイスを操るリッチマンだが、スタートは31歳の時、愛知県一宮市で始めた、たった2坪の持ち帰り焼き鳥屋だった。いかにして成功者になったのか? ヒケツは20代で鍛えられた胆力と舌のようだ。

■弁護士志望で中大法学部に入るも…

 2坪の持ち帰り焼き鳥屋を開業と聞くと、誰でもその気になればやれそうだ。しかし、そこから一大飲食店チェーンを築き上げるとなると、凡人では無理。山本さんは凡人とはちょっと違う半生を歩んできた。

 1962年9月、岐阜県関市の生まれ。大手企業の会社員だった父親は例外として、親戚はほぼ公務員というカタイ家系で、5歳上の姉はのちに県立高校の校長先生になっている。

「姉は努力家で優秀で、剣道をやっても地域のナンバーワンになる。比べて私はデキがよくなくて、努力家でもなく、人生の岐路に立つと、いつも厳しいほうを避けて、やさしいほうを選んでいました。でも、何かで成功して親に顔を立てなくてはいけないと思っていました」

 デキがよくないといっても、大学は中央大学法学部へ。弁護士を目指していたが、それが2年生の時に挫折したという。

「ゼミ合宿に行った時、先生に『君は弁護士にならんでいい。面白いから、弁護士を使うような人間になれるよ』と言われました。成績が悪いということなんでしょうけど(笑い)」

 しかし、この先生の言葉が学生だった山本さんの気持ちに変化を起こした。ゲームセンターやパブスナックなどアルバイトを掛け持ちし、軍資金を貯め、まずビデオの宅配事業を開始。ビデオ制作会社から警告を受け、まもなく宅配事業はやめるが、3年生の時、バイト先で、とある起業家と出会い、人生が大きく変わるのだ。

「私は当時、東京・多摩センターにあるパブスナックの店長を任されていたんですけど、1歳上の中古車のブローカーがお客さんとして来たんです。パンチパーマにシルバーのダブルのスーツを着ていて怖かった。ウイスキーをグラスになみなみと注がれ『飲め』と言われたので、3杯一気飲みしました。フラフラになったんですけど、『面白いヤツだ。オレの手伝いをしろ』と。『オレは地球を宇宙から見ている』とか変なことを言うんですけど、面白い人だなあと思ったんです」

 その社長の東京・永山の事務所兼自宅へ遊びに行くうち、中古車販売の仕事を手伝うように。気がついたら一緒に暮らし、よくいえば“子分兼秘書兼カバン持ち兼営業マン”、悪くいえば“奴隷”のような日々を過ごしていたという。

「社長は極真空手の師範だったので、一緒に『組手』をやったり、“修行”として朝5時から近所をハダシで走ったり、真夏の炎天下に暖房をマックスに入れた車内で暑さに耐えたり、冬は氷風呂に入れられたりしました。今思えばどこかの宗教に近いですよね(笑い)」

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最終更新:8/31(土) 17:13
日刊ゲンダイDIGITAL

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