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【#しんどい君へ】島田洋七さん「生きているだけで誰かの幸せに役立っているんだよ」

8/25(日) 10:04配信

読売新聞オンライン

 若者の自殺が増える傾向にある夏休み明けを前に、悩み、傷つき、苦しんだ著名人たちが、しんどい思いを抱える「君」へメッセージを送る。

漫才師 島田洋七さん(69)

 プロ野球選手を目指して進んだ強豪の高校野球部をけがで退部し、その後、漫才ブームでブレイクしたものの、レギュラー番組はなくなり副業も失敗。一時は自殺も考えた。だが、ビートたけしさんと語り合う中で生まれた『佐賀のがばいばあちゃん』がベストセラーになるなど、起伏の激しい人生を歩んできた島田洋七さんは、「あなたは一人やないんやで。生きているだけで誰かの幸せに役立っているんだよ」と語りかける。

                ◆

 2歳の時に原爆症で父を亡くし、かあちゃんは広島市で小料理屋を開きながら、俺と兄ちゃんを育てていました。家計が苦しく、小学2年の時に佐賀のばあちゃんの家に預けられました。
 かやぶき屋根のボロ家に2人ぐらし。川から流れてきた野菜をおかずにし、川で洗濯、冬の寒い夜には外を走って体を温めた。広島でも貧乏だったけど、ド貧乏にランクアップしました。でも、ばあちゃんは底抜けに明るく、「自信を持ちなさい。うちは、先祖代々貧乏だから」と豪快に笑い飛ばしていました。
 「勉強ばっかりしよったら、クセになるばい」というばあちゃんの言葉を忠実に守り、外で遊び回りました。小学生時代に野球に夢中になり、中学校の野球部では1年からレギュラー。将来の夢はプロ野球選手。高校は野球の特待生で、広島の強豪・広陵高校に入り、母の元に戻りました。
 ところが、1年の冬の練習中に左肘に打球を受けて軟骨を損傷。腕が曲がらなくなりました。競争は激しく、練習しなかったら抜かれてしまう。けがが治らず、2年生で退部しました。
 佐賀のばあちゃんに電話して、「俺はついてへん」と初めて愚痴をこぼしました。すると「足は大丈夫か? なら、サッカーせんか」と簡単に言うから笑えてきて。「学校を卒業しとけば、職業は1万種類ぐらいある。選びたい放題や」と言われ、気持ちを切り替えようと思いました。
 広陵は3年夏に甲子園に出場し、準優勝。憧れの甲子園でライバルが活躍する姿に悔しい思いもありました。でも、今はけがに感謝しています。もし甲子園に出たら、大学野球に進んで会社員になって漫才師にはなっていなかった。何でも、失敗は新しい始まりなんです。

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最終更新:8/25(日) 10:04
読売新聞オンライン

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