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山崎 康晃選手(帝京-横浜DeNAベイスターズ)「プロ入りした選手でこれほど極端に変わったのは山崎が初めて」

8/25(日) 12:10配信

高校野球ドットコム

 150キロを超える速球、フォークのように曲りが大きいツーシームのコンビネーションで次々とセ・リーグの強打者をねじ伏せ、横浜DeNAベイスターズに欠かせない守護神・山崎康晃。さらに愛嬌溢れる笑顔と爽やかなファン対応で、大人気となっている。
 そんな山崎の高校時代は2009年夏と2010年春に甲子園出場。バランスが取れたオーバーハンドから140キロ台の速球を投げ込む右の本格派としてドラフト候補に挙がる存在だった。能力以外の一面を知るべく帝京の前田 三夫監督に伺ってみた。

帝京のユニフォームを着た当時の山崎康晃

退部危機を止めた母・ベリアさんの存在

 「山崎ですが、入学当初は本当に体が華奢な子でした。でも身体能力は素晴らしく、肩、足が抜群に良かった。最初はそれを生かそうと投手兼外野手としても考えていたんです。でも、打撃がダメで、また体も細いので、打球も前へ飛ばない。ですので打者としては諦めて投手1本に。ただ投手としてもストレートの球筋は良かったのですが、球質が軽いので、打球が飛ばされていましたね。

 これを見て、1年生の間はしっかりと体を作らないといけないと思いました。トレーニングもそうですが、ご飯をたくさん食べろよと彼に伝えていましたね。よく彼の家に電話をして、しっかり食べているかと聞いたこともあります。
 ただ、その華奢な身体以上に手がかかったのは精神面です。今では好青年の山崎ですが、入学当時はやんちゃ坊主で、とにかく勉強が嫌い。当然ながら成績が悪い。そして成績が悪いから、課題も出ますがその課題も消化できない。それで頭がパンクして、本人が辞めると言い出したんです」

 しかしこの時、辞めようとする山崎を止めたのが、フィリピン出身の母、ベリアさんだった。
 「お母さんが大したもので、その日に、山崎を連れ出してグラウンドへ帰ってきたんです。1年の4月半ばぐらいのことですよ。そこで甘いことは言っていられないと思ったのか、辞めずにやってきました」

 今ではウイニングボールをベリアさんに渡すなど、親孝行な一面が見える山崎だが、そのベリアさんの引き留めがなければ、今の山崎はなかった。そしてトレーニング、食べることを繰り返した山崎の体はだんだん大きくなり、ストレートの質も変わり、140キロ台に到達した。頭角を現したのは2年の夏からで、東東京大会では先発・中継ぎと活躍を見せ、2年ぶりの甲子園出場に貢献。準々決勝の県立岐阜商戦で甲子園デビューを果たした。山崎は3回無失点の好投を見せ、さらなる活躍が期待されたが、中継ぎ投手という立ち位置は変わりなかった。

 「あいつは持続力がないところがあって、先発をさせることはあったのですが、最初は良くても、途中で打たれてしまうことがよくありました。逆にリリーフで出したら、良いんですよね。この時から中継ぎ・抑えが適任だったかもしれませんね。気持ちに波があってよく僕に怒られていたと思います。でも3年春の選抜が終わってだいぶ気持ちが変わってきましたね。

 エースになりたい気持ちが強く出てきて、練習に取り組む姿勢も変わってきましたし、マウンド上でもだいぶ気持ちがこもった投球ができるようになりました。この時、不調な投手が多かったので、この夏は山崎に背番号1を付けさせて山崎に懸けてみようかということになりました」

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最終更新:8/25(日) 12:10
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