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岩田豊雄「海軍」 軍神を崇め奉ることなく 【あの名作その時代シリーズ】

8/26(月) 18:00配信 有料

西日本新聞

毎年十数万人が訪れる海上自衛隊幹部候補生学校(旧海軍兵学校)。案内役(江頭芳光さん)の軽妙なトークに見学者の顔もほころんだ=広島県江田島市

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年4月8日付のものです。

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 小説「海軍」は一九四二年七月から十二月まで朝日新聞に連載された。日米開戦の口火を切った真珠湾攻撃のとき特殊潜航艇で同湾奥に進攻し、赫赫(かっかく)たる戦果を挙げた九人が軍神に列せられた。その一人、横山正治少佐の誕生から二十三歳の死までを綴(つづ)ったものである。少佐は谷真人の名で登場する。

 真人は、鹿児島市下荒田町の精米商の六男として一九一九年に生まれた。ベルサイユ条約が締結されたその年である。やがて父が病没し、四男が商業学校を中退して店を継いで米粉にまみれる。母思いで努力家の真人は、小学校を優秀な成績で卒業し、親友の隆夫と共に県立二中に進学する。隆夫は海軍士官に憧(あこが)れ、海軍兵学校進学を夢見る。その影響で真人も同校を目指すようになるのだった。

 作者の岩田豊雄は裕福な商家に生まれた。慶應義塾大学を中退し、演劇を学ぶためフランスに留学。帰国後は演劇活動の傍ら、獅子文六の名で小説を書いた。「文豪以上の文六」とうそぶいてペンネームにしたという。

 時局が厳しくなると、作家たちも戦意発揚のために駆り出された。新聞社は競って人気作家を特派員として戦地に送り、リポートを掲載した。

 岩田は軍部と距離を置いた。大正デモクラシーに育った演劇人が、戦争ものを好まなかっただろうことは容易に想像される。その岩田が一変、進んで筆を執ったのが「海軍」であった。岩田は直後に出版した「海軍随筆」でこう語っている。

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 〈ハワイとマレーの戦いは(中略)、僕の胸に劇薬で灼(や)いたように、灼きつくしてしまった。僕は海軍に何のゆかりもない素人で、戦争のことは書けないにしても、自分の感激をそのままに放置し難かった〉 本文:2,753文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:8/26(月) 18:00
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