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搾取しつくされた最底辺の人々 上野英信「追われゆく坑夫たち」【あの名作その時代シリーズ】

8/27(火) 12:00配信 有料

西日本新聞

その昔、坑道が陥没してできたという木月池。一帯には大小のヤマが広がっていた=福岡県鞍手町

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年4月15日付のものです。

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 「この世のもんじゃなか……」

 掘り尽くされた炭坑を再び堀りあばいた坑道の片隅で、ふんどし一枚の老人は壁を打ち、亡者のようにつぶやく。

 妻子が家出した男は筑豊から六十キロの道を歩いて福岡市まで血を売りに行き、糊口(ここう)をつなぐ。

 「どげちこげち、こげなひどか監獄ヤマははじめてたい」

 青ざめた顔で、地下の男たちは語り始める。

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 福岡県飯塚市相田。かつて中小炭鉱が点在したこの谷で、上野英信は一九五五年から五六年の冬を越した。エネルギー革命の波に洗われ、閉山が相次いだ筑豊で、最も深刻な「飢餓の谷間」と言われた。吹きだまりのようにあふれた失業者たちはボタ土を掘り抜いた半地下の小屋で眠り続けた。英信はたずねる。仕事がほしいかと。

 「ああ……あればなあ…」

 〈泥のような無気力〉と、〈もはや救いがたく高じた被害妄想的な恐怖心〉に覆われた失業者の谷を、英信はひたすら歩いた。水をくみにいった少女が坑口で足を滑らせて水死した。焼酎を飲んでいるところを発見され、生活保護を打ち切られた家の子どもが栄養失調で死んだ。英信は、死んだ子どもの死亡届や火葬手続きのために、おろおろと歩き回った。なすすべもなく-。この谷での経験が、のちにルポルタージュ「追われゆく坑夫たち」を書かせることになる。

 〈だれにも知られないままに消えさってゆく坑夫たちの血痕を、せめて一日なりとも一年なりとも長く保存しておきたい〉という〈ひとすじの執念〉にかられて。

   ■   ■

 「ぼくらは井の中の蛙(かわず)だった」

 英信の取材に同行した元炭鉱マンの山口勲さん(69)=福岡県中間市=は、ある小ヤマに足を踏み入れた日をこう振り返る。 本文:2,748文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:8/27(火) 12:00
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