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「行路難」郭沫若 川の流れの先に大海を見る【あの名作その時代シリーズ】

9/2(月) 18:00配信 有料

西日本新聞

ときに静かに、ときに激しく流れる嘉瀬川の渓流。郭沫若はこの地に投宿し文筆活動に励んだ

 「あの名作その時代」は、九州を舞台とした作品、または九州人が書いた著作で、次代に残すべき100冊を選び、著者像や時代背景、今日的な意味を考えながら紹介するシリーズです。西日本新聞で「九州の100冊」(2006~08年)として連載したもので、この記事は07年5月13日付のものです。

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 〈川上川の渓流は昼夜をおかず流れていく。平坦(たん)な所に流れて行くと集まって小さな深淵を作るが、しかしまた絶えず流れる。流れが通れない所にさしかかるとまた激しくなって荒々しく怒り、ごうごうという急流の響きを立て、牙をむき出し、飛沫(しぶき)をあげて獅子奮迅する。(中略)流れよ。流れよ。涇(けい)水は渭(い)水と清さを争わない。黄河は長江と濁りを比べない。大海のうちでは一切が清流だ。一切が浄化する時があるのだ。流れよ。流れよ。大海は遠けれども必ず流れつく日があるのだ。〉

 「行路難(こうろなん)」は、こう結ばれている。

 さすらいの日々の果てにたどり着いた異国の山中にありながら、その男は、細き川の流れの向こうに、大海を見ていた。

 大海とは、何だったのだろうか。

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 佐賀市富士町の嘉瀬川沿いにある熊の川温泉。郭沫若が川を見つめてから八十三年の時を経た二〇〇七年五月、私は同じ川のほとりに立ち、きらきらとほとばしる水の流れを見て思った。

 川の流れが海へ続くことが道理至極であるとしても、それを信じるのは決してたやすいことではない、と。

 後に中国を代表する文学者、政治家となる郭沫若が、ひなびた湯治場に家族と身を寄せたのは一九二四年秋のことだった。

 郭は、留学していた九州帝国大医学部(現・九州大医学部)を卒業しながらも、十代で患った腸チフスによる難聴で医の道を断念し、それまで秘めていた文学への道を志す。だが、中国人に対する激しい蔑視(べっし)と、貧しさの中で妻と子ども三人を養う困難さに耐えかねて、福岡を去ることを決めた。借家を引き払い、保養と執筆の〈背水の陣〉を敷くために選んだ場所が、熊の川温泉であった。 本文:2,680文字 写真:1枚

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西日本新聞

最終更新:9/2(月) 18:00
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