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「青春の全て戦争に奪われた」 テニアンで家族失った戦争孤児 逆境力に重ねた苦労

9/3(火) 5:10配信

沖縄タイムス

 ふるさとへの祈り 南洋戦75年(2)  安里清榮さん(78)那覇市

 ♪波の背の背に ゆられてゆれて 月の潮路の かえり船

 テニアン島での慰霊祭を2日後に控えた8月26日、サイパン島中部にあるホテルのビーチ。ベンチに腰掛けた安里清榮さん(78)=那覇市=は海の先に浮かぶ故郷テニアンを眺めていた。

 イヤホンから流れる曲は、昭和歌謡の歌手・故田端義夫の「かえり船」。家族で唯一、戦争を生き延び、船で沖縄へ引き揚げた自分を歌詞に重ねた。「私一人で、これからどうなるのだろうという不安な気持ちを思い出しましたね」

 沖縄で生まれ、約1年後にテニアンへ渡った。戦時中、両親と弟の家族4人で逃げ回った。当時3歳だった安里さんに戦中の記憶はほとんどない。経緯は伯母から聞かされて知った。

 戦況が激しくなり、安里さん一家は、共に行動していた伯母の家族と別れた。連日降り注ぐ艦砲射撃や空爆。身を潜めた防空壕にも砲弾の破片が飛び、両親と1歳になったばかりの弟は息を引き取った。

 左足の薬指と左目の下をけがした安里さんは米兵に拾い出され、孤児収容所へ。知らせを聞いた伯母が引き取り、1946年2月に沖縄へ引き揚げた。

 全員無事だった伯母の家族と、辛うじて1人生き残った安里さん。途中まで一緒だった伯母は、命運が分かれたことをずっと悔やんでいたという。

 沖縄に戻ってから、厳しい祖父母に育てられた。貧しい生活の中、初恋も部活動も諦め、ひたすら勉強に打ち込む日々。「青春の全てを戦争に奪われた」

 それでも逆境を力に変え、高校卒業後に郵便局や公務員の仕事をし、学費を稼いで大学に通った。独自で学んだ公認会計士の試験にも合格。沖縄が日本復帰した72年、独立して事務所を開いた。「逆立ちしても何も出ない。親もきょうだいもいない。やるしかなかったんですよね」。戦争孤児の苦労を語る目に涙がたまる。

 年を重ね、家族の遺骨がないことをやるせなく思うようになった。だからこそ、安里さんにとってテニアンは「一生忘れることができない島」だ。

 島南端にある「沖縄の塔」で開かれた慰霊祭。青空の下、安里さんは目をつむり、感謝と誓いを祈りに込めた。

 「75年間、無事に生き延びられたことを改めてありがたく思った。子や孫にとっては遠い戦争の話をちゃんと残していきたい」(社会部・新垣卓也)

最終更新:9/3(火) 5:10
沖縄タイムス

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