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消えゆく「デパートの大食堂」、昭和の香りとテーブルの上に置かれた半券の記憶をたぐり寄せる

9/4(水) 19:30配信

アーバン ライフ メトロ

存在意義が薄れるデパート

「昭和10年代、阿佐ヶ谷に住んでいた私たち家族が、ちょっと改まった買物に出かけるのは新宿だった。母のお供は、たいてい末っ子の私だった。新宿にはデパートが二つ、向かい合っていた。三越と伊勢丹である。買物は三越でもしたし、伊勢丹でもしたが、終わってアイスクリームを食べさせてもらうのは、いつも三越の大食堂だった」(久世光彦『昭和恋々』)

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 筆者(増淵敏之。法政大学大学院教授)は札幌市で育ったため、「丸井今井」の大食堂が記憶の片隅に残っています。久世とは異なり昭和30年代で、デパート黄金期ともいえる時代でした。なお久世光彦とは、人気ホームドラマ「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」などを手掛けた、東京生まれの演出家・小説家です。

 デパートは都会を象徴する「装置」でしたが、子どもたちにとって買物よりも大食堂が魅力的に映ったことでしょう。札幌には当時、東京資本の三越や地元の五番舘もありましたが、やはり「丸井さん」と呼ばれた丸井今井が市民にとって地域一番店でした。

 しかし現在、地方や都市郊外、そして大都市とデパートが次々に姿を消しています。近年は名古屋の丸栄、函館の棒二森屋、八王子そごう、伊勢丹府中店、松坂屋銀座店などです。

 久世が語るように、デパートは昭和初期における「文化生活」の象徴で、平成に入るまでは存在感はまだ大きかったと言えます。しかし郊外に大規模モールやアウトレットができ、消費者がアマゾン、楽天などの電子商取引(EC)で買い物を楽しむ現在、その存在意義が薄れています。

買い物をしなくても楽しめたデパート

 とくに戦後の経済復興をとげて豊かになってきた1960年代から80年代にかけて、デパートはぜいたくな気分を味わえる憧れの場所でした。休日は、家族そろってよそ行きの服でおめかしをして出かけたものです。

 最新のファッションやインテリア、きらびやかな宝飾類、魔法の国のようなおもちゃ売り場、最上階から風景を見渡せる大食堂、屋上の遊園地などなど、たとえ買い物をしなくても、デパートをめぐるだけで親も子どもも幸せな気持ちにひたれました。

 なかでも大食堂は大きな役割を果たしました。子どもたちにとってはそれがデパートのメインでした。大食堂の入口には必ず和洋・中華、軽食、デザートの食品サンプルの並ぶウィンドウがあり、これを見て食券を購入。その食券をウェイトレスがオーダー時に半分に切り、ひとつは厨房に持っていくのです。そしてテーブルに残された半券は、食事が運ばれると回収されました。

 1959(昭和34)年の阪急百貨店うめだ本店(大阪市)の献立の値段は、次のとおりでした。価格は、さほど高くありません。

・ランチ:100円
・ビーフカツ:50円
・ライスカレー:70円
・コーヒー50円
・ホットケーキ:60円
・フルーツジュース:70円

「サザエさん」の磯野家が福岡に住んでいたとき、サザエさんとマスオさんが同エリアのデパート・岩田屋の地下の大食堂でお見合いするエピソードがあることから、当時は大衆感がさほどなかったようです。

 現在、デパートの大食堂は往時の姿を留めてはいません。しかしお子様ランチやホットケーキはデパートの大食堂が発祥といわれ、それらの食文化は現在も違った形で継承されています。

 また現在も大食堂を営業しているデパートも少なからずあり、マルカン百貨店(岩手県花巻市)の大食堂のように店舗は閉店したものの、地元の人々の力で営業を続けているところもあります。

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最終更新:9/5(木) 6:22
アーバン ライフ メトロ

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