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普通級に進むメリット【大学教授、発達障害の子を育てる】

9/7(土) 11:00配信

本がすき。

前回、特別支援学級のことをだいぶ持ち上げた。今回は普通級に進むメリットについても触れよう。

前回の書きっぷりで一目瞭然ではあるが、ぼくは特別支援学級や特別支援学校が好きである。教育において、S/T比は本当に大きな要因なのだ。極少の人数での教育が確約されている特別支援教育は、とても良い教育ができると思う。その証拠に、定型発達の子向けの普通教育も、常に少人数教育を指向してきた。コストの問題でなかなか実現はしないが。

自閉症教育で定番のABAやTEACCHは、通常の教育手法と排他的な関係にあるわけではなく、定型発達の子に適用しても問題はないと思う。そもそも小さな子は、誰だって落ち着きがなかったり、儀式的な行動様式を持っていたり、何かにこだわりがあったり、気が散ったりする。けっこう自閉的な存在なのだ。そこには質と量の多寡しかない。まさにスペクトラムなのである。

ぼく自身、双子の片割れがあまりに頑固で手強いので、「ひょっとして、こっちもその気があるのか……」と思って療育プログラムに参加させたことがある。結果的にこちらは定型発達として落ち着いたわけだが、療育プログラム自体よく効いたと思う。重ねて言うが、特別支援教育と普通教育は排他的な関係ではないのだ。

だから、判断に迷ったときに、普通級ではなく特別支援学級へ、特別支援学級ではなく特別支援学校へという選択はアリだと思う。その方が手厚くケアしてもらえることは、みんなわかっている。それでもなお、不安を抱えつつ、よりクラスサイズの大きい学級へ進みたくなるのはなぜだろう。

「ふつうになって欲しいから」「ふつうだと思いたいから」もちろん、あるだろう。そりゃあ、かわいいわが子である。世の中の少数派になってしまうよりは、みんなと一緒のふつうの幸せをつかむか、少なくともそのチャンスは与えられて欲しい。療育を受けたり、特別支援学級に進学したりすると、「なんだか、みんなから遠くへ離れてしまったなあ」と感じるのは事実である。

「就職が心配だから」これも、きっとあるのだろう。ぼく自身は、子どもがまだ就職のステージには立っておらず、想像とデータからしかこの問題について語ることができないので、現時点では何か述べるのは差し控えようと思う。

「普通級に入って、まわりの友だちに刺激を与えて欲しいから」実は、親心としては、これが一番大きいのではないだろうか。

これまでの連載でも、たびたび言及してきたように、自閉症の子は、入出力機能にトラブルを抱えていることが多い。興味のある事柄には、寝食も排泄も忘れて没頭するが、興味のない事柄には鼻も引っかけない。定型発達の、特定の年齢層にある子たちが、スポンジが水分を吸収する速度で知識や技能を身につけていくのとは、対極にある。

定型発達の子だって好き嫌いや得手不得手はあるが、苦手な先生の言葉だって取り敢えず耳には入っている。でも、自閉症の子(全体に敷衍しているわけではない。ぼくの子のケースだ)は、まるでそんなものがこの世に存在していないかのように振る舞う。

興味のないものに対して、自閉症の子の注意を向ける作業を「城壁にドリルで穴を穿つようだ」と表現した先生がいた。実感としても、本当にその通りである。無関心と不注意の城壁を蹴殴り飛ばして、知識を授けることは不可能ではない。でもへとへとになる。

この難物に対して、刺激が欲しいのである。特別支援教室の友だちたちも刺激ではあるが、自閉症同士だとどうしてもその質と量が乏しくなる。そこで、普通級の健常の子たちである。あのきらっきらした疲れ知らずの元気な子どもたちが、自分の子を毎日刺激してくれたらどんなにいいだろう! その行動や立ち居振る舞いの1/10でも真似してくれたら、かなり真っ当に見えるのでは? などと考えてしまう。実際、混合教育で成功事例として取り上げられる子には、それでうまくいった子が登場する。

でも、それはベストプラクティスではあるけれど、みんなが真似できるモデルケースではないと思うのだ。

岡嶋裕史(おかじまゆうし)
1972年東京都生まれ。中央大学大学院総合政策研究科博士後期課程修了。博士(総合政策)。富士総合研究所勤務、関東学院大学准教授・情報科学センター所長を経て、現在、中央大学国際情報学部教授、学部長補佐。『ジオン軍の失敗』(アフタヌーン新書)、『ポスト・モバイル』(新潮新書)、『ハッカーの手口』(PHP新書)、『数式を使わないデータマイニング入門』『アップル、グーグル、マイクロソフト』『個人情報ダダ漏れです!』(以上、光文社新書)など著書多数。

最終更新:9/7(土) 11:00
本がすき。

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