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8歳でアルゼンチンに移住。「ニッポンに残り、生き別れた兄に会いたい...」72歳男性が64年ぶりに帰国!11歳年上の兄は今...

9/9(月) 20:50配信

テレ東プラス

ご紹介するのは“ニッポン里帰り応援団“。遠く離れた家族の絆を繋げ、ニッポンにルーツを持つ方々夢をかなえるため、ニッポンにご招待します。

向かったのはアルゼンチン北東部のミシオネス州にある、広大なジャングルに囲まれたプエルトリコという町。約60年前、アルゼンチン最北の日本人移住地として開拓されたこの地に、8歳でニッポンを離れて以来、64年間一度も帰ったことがないという男性がいました。

故郷ニッポンを離れ64年間...生き別れた兄への熱い思い

佐藤昌弘さん(72歳)。佐藤さんは戦後復興から高度成長へとつながる1955年、家族に連れられて北海道美唄(びばい)市からアルゼンチンに移住。「どんなところかわからないけど、良い所にいくんだろう」そう思ってやって来たのは、電気も水道もないジャングルの奥地でした。

昌弘さんのお父さんは農場で作物の運搬をしていましたが、生活は苦しく食事もままならない日々。そんなアルゼンチンの暮らしの中で常に心にあったのが生まれ故郷・ニッポンでした。昌弘さんは高校卒業後、紅茶工場に就職。20歳の時、妻・ワルタさんと結婚し、5人のお子さんに恵まれます。

しかし、今でも昌弘さんが悔やんでいるのは、30年前に亡くなった母・サダ子さんのこと。亡くなるまでスペイン語が使えなかったサダ子さん。それでも不満を言うことなく家族を優しく見守り続けました。「僕たちの仕事では絶対ニッポンに帰れるような余裕はない...」けれども昌弘さんは、お母さんにもう一度ニッポンの土を踏ませてあげたかったのです。

なぜなら、母・サダ子さんにはニッポンに心残りがあったから...。ニッポンに残してきた昌弘さんの11歳年上の兄・幸一さんに「会いたい」と、サダ子さんはいつも言っていたのだそう。移住を決めた際、幸一さんはすでに就職先が決まっていたので、家族と離れ、一人でニッポンに残ったといいます。

手紙でやり取りは続き、幸一さんは写真もたくさん送ってくれましたが、サダ子さんが亡くなってからは昌弘さんが日本語を書けないこともあり、音信不通になってしまいました。ご健在であれば83歳になっている兄・幸一さん。「父はいつも写真を見ながら気にかけています...」と息子のサンドロさん(38歳)は話します。今回は、そんな昌弘さんをニッポンにご招待!

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最終更新:9/9(月) 21:29
テレ東プラス

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