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[記者手帳]政権を乗りこなす検察の“神業”、今回も成功なるか

9/9(月) 12:42配信

ハンギョレ新聞

前政権の不正に関する捜査の後は現政権を捜査し、改革逃れを繰り返す 

検察総長任命前、大統領府に「ユン・ソクヨルは検察主義者」という警告も 
検察総長は憲法と国益を考慮し、検察権行使の“節度”を守るべき 

国会とマスコミを追い出し、検察が公職候補者の検証に不当介入 
被疑者に有利な証拠を排除した起訴は検察官の客観義務違反 

このまま行けば、与野党いずれも敗北し、再び検察の独り勝ちに 
血を呼ぶ刀…検察の強大な権力が多くの人を傷つける
 台風13号が朝鮮半島に上陸し、大きな被害を残して過ぎ去りました。ご存知のように、台風は熱帯性低気圧が発達したものです。中心気圧が低いほど風が強く、水蒸気をたくさん含むほど多くの雨を降らせます。上陸した場合は、通過する速度が被害の規模を決めます。早く通り過ぎると小さい被害で済みますが、ゆっくり通ると大きな被害をもたらします。

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領が大統領府民情首席だったチョ・グク(ソウル大学)教授を法務部長官候補者に指名したのは、8月9日のことでした。自由韓国党といわゆる保守性向マスコミの強い反対が始まりました。熱帯性低気圧が形成されたのです。

 8月19日からマスコミでチョ・グク候補者の家族をめぐる様々な疑惑が持ち上がりました。民心の動揺が始まり、怒りが膨れ上がっていきました。自由韓国党といわゆる保守勢力は、民心の動揺と怒りを煽りました。危機感を感じた大統領府と共に民主党はチョ・グク候補者の“庇護”に乗り出しました。中心気圧が下がり、水蒸気を吸収して台風に発展したのです。

 国会人事聴聞会の日程が9月2日と3日に決まりました。ところが、8月27日、検察が突然捜査に入ったのです。大統領府と共に民主党は検察を強く批判しました。紆余曲折の末、9月2日の記者懇談会と9月6日の聴聞会が開かれましたが、検察はチョ・グク候補者の妻を私文書偽造の疑いで起訴しました。台風が上陸し、国を揺さぶっているような格好です。

 “台風チョ・グク”の威力は実に強いものでした。みんなが見方が分かれ、意見が割れました。与野党によって、世代によって意見が対立しました。友達同士で、また家族同士でもケンカが起きました。台風13号は消滅しましたが、チョ・グクという台風はしばらく朝鮮半島上空に留まりそうです。頭を悩ませる問題です。

 これからどうなるでしょう?

 文在寅(ムン・ジェイン)大統領の判断と選択にかかっています。それには二つの道があります。

 第一に、チョ・グク候補者を辞退させるか、指名を撤回することです。

 この場合、国政運営の動力を部分的に失う当面の損害は避けられません。問題は損害の“程度”です。長い目でみると、「2歩前進のための1歩後退」ともいえるかもしれません。法務部長官候補者は新たに指名すれば良いのです。チョ・グク候補者以外にも法務部長官の職責を全うする人物は多いでしょう。

 第二に、チョ・グク候補者を法務部長官に任命することです。

 この場合、検察の捜査が最も大きな負担になります。検察は、チョ・グク候補者の妻に対する追加容疑を持ち出すでしょう。法務部長官本人を捜査するかもしれません。今の検察の勢いからすると、十分あり得るシナリオです。

 政治的負担も侮れません。自由韓国党と正しい未来党は法務部長官の解任建議案を提出するでしょう。もちろん、チョ・グク法務部長官が辞任すれば、再び後任を探せばいいだけです。しかし、その間、文在寅政府はさらに大きい傷を負うことになるでしょう。

 文在寅大統領はどうすべきなのでしょうか。

 人々の視線がチョ・グク法務部長官の任命に注がれている間、我々は重要な問題を見逃しています。検察改革が文在寅政府でもほとんど実現不可能な状況になっていくという事実です。

 かつて李承晩(イ・スンマン)、朴正煕(パク・チョンヒ)の独裁時代、検察は政権内部で力のない機関に過ぎませんでした。権力の序列においても低い位置でした。しかし、全斗煥(チョン・ドゥファン)、盧泰愚(ノ・テウ)政府時代から、軍部と警察を追い出し、政権の「大奥総取締役」のような存在に浮上しました。その後、金泳三(キム・ヨンサム)、金大中(キム・デジュン)、盧武鉉(ノ・ムヒョン)、李明博(イ・ミョンバク)、朴槿恵(パク・クネ)政府を経て、ついに“政権よりも強い検察”としての地位を築きました。「政権には限りがあるが、検察は無限だ」という言葉は単なるスローガンではありません。

 任命職の検事で構成された検察組織が、選出権力である政権よりも強力な最高の権力に浮上できた秘訣は何でしょうか。

 この20年間、政権を乗りこなす“神業”を発揮してきたからです。政権を乗りこなす“神業”とは何でしょうか。

 政権の前半には過去の政権の不正を熱心に捜査し、現政権の信任を得ます。政府と与党が検察の権限を直ちに減らすことはできなくなります。政権後半期には現政権の不正にメスを入れます。今度は野党が検察改革に反対するしかありません。政権が変わる度にこのようなサイクルを繰り返し、改革を逃れる手法です。

 文在寅大統領が就任後、直ちに検察を改革せず、検察に弊害の清算の任務を与えた時、すでに検察の“神業”は作動し始めました。検察の論理からすると、ムン・ムイル検察総長(日本の検事総長に当たる)とユン・ソクヨル・ソウル中央地検長体制で行われた過去の政権の不正に関する捜査は、積弊清算ではなく、まさに政権を乗りこなす“神業”だったのです。

 ユン・ソクヨル検察総長はどんな人物でしょうか。検察内外の評価を総合すると、“危険な”人のようです。彼は検察主義者です。彼のイデオロギーは、保守でも進歩でもなく、まさに検察です。だからこそ危険なのです。憲法裁判所によって解散が確定された統合進歩党や太極旗(韓国の国旗)部隊は、それでもまだ組織ではなく価値を目指す集団です。

 ユン・ソクヨル検察総長の推薦と任命過程で、多くの人がユン・ソクヨル検察総長体制の危険性を大統領府に警告しました。現政権では権力型不正がありえないと確信している文在寅大統領としては、原則的かつ剛直な検察官を検察総長に任命するのに何のためらいもなかったでしょう。

 しかし、検察は権力型不正だけではなく、まさに“あらゆる”不正を捜査できる強力な権限を持っています。現実的に、検察がその気になれば、ほとんどの人を捜査して拘束し、起訴することができます。今行われている状況は、“検察主義者の検察総長”がどれだけ危険な存在かをよく示しています。

 ユン・ソクヨル検察総長は、自分が今何を間違えているのか、分かっていない可能性が高いです。犯罪が目の前にあれば、捜査するのが当たり前だと思っているかもしれません。被疑事実の公表は特殊捜査の“基本”です。特捜部の検事らは以前からマスコミを捜査に積極的に活用してきました。そうしなければ、権力型不正や“巨悪”に打ち勝てないと思っているからです。ユン・ソクヨル検察ではこれからも被疑事実の公表が続くと、私は見ています。

 検察主義者の検察総長がなぜ問題になるでしょうか。検察庁法は、検察官の職級を検察総長と検事に区分しています。検察総長は検察の事務を総括し、検察庁の公務員を指揮・監督する人です。理論的には検察総長も検事です。

 しかし、検事と検察総長では、その役割が非常に異なります。検事が刑事訴訟法レベルの思考をするなら、検察総長は憲法レベルの思考をしなければなりません。検事は犯罪を見ると後先考えず突進しようとしますが、検察総長はもっと大きな視野で前後をよく見極めなければなりません。

 検察総長は検察権の行使に先立ち、国民の基本権や三権分立や政党政治など憲法的価値を損なわないよう、節度を守らなければなりません。普遍的な人間の価値を保護し、大韓民国共同体の利益のために検察権を行使する優先順位を慎重に決めなければならないのです。

 簡単に言えば、ソウル中央地検長のユン・ソクヨルと検察総長のユン・ソクヨルはレベルと次元が違わなければなりません。しかし、ユン・ソクヨル検察総長はそうしませんでした。検察が証拠の確保を名分に掲げ、公職候補者の任命過程に介入するのは正当なことでしょうか。国会とマスコミの検証の役割を、検察が代わりに果たすと乗り出すのは不当です。

 これからも大統領が長官候補者を指名すれば、野党が政治的目的で検察に告発状を提出するでしょう。検察がその都度今回のように強制捜査に入るとどうなるでしょうか。長官の任命同意権を検察が握ることになります。

 これまで明るみになったチョ・グク候補者と家族のさまざまな疑惑は、国会人事聴聞会や長官職の任命が決まった後でも捜査が可能だったはずです。

 実は、刑事訴訟法のレベルからしても、検察の今回の捜査は問題が多いです。検察が公訴時効を理由にチョ・グク候補者の妻を調査もせず、私文書偽造の疑いで急いで起訴したのです。

 検察官には「客観義務」というものがあります。検察官は公益の代表者として、実体的な真実に基づいた国家刑罰権の実現のために公訴提起と維持を行う義務だけでなく、その過程で被告の正当な利益を擁護する義務があり、したがって検察官が捜査および公判の過程で被告人に有利な証拠を発見した場合は、被告人の利益のために裁判所に提出しなければなりません。2002年の最高裁(大法院)の判例です。

 ところが、(チョ・グク候補者の妻の)チョン・ギョンシン教授に対する今回の捜査で、検察は客観義務を守ったでしょうか?チョン・ギョンシム教授に有利な供述や証拠を今わざと無視しているのではないでしょうか?

 検察で特捜で有名だったシム・ジェリュン元高等検察長が2009年、検察同友会のニュース誌に「捜査10カ条」という文を寄稿したことがあります。検事が捜査に当たって注意すべき10項目をまとめたものです。今回の検察のチョ・グク教授及び家族に対する捜査で、「捜査10カ条」は果たしてどれほど守られたのでしょうか。

「刀は刺してもえぐるな/被疑者の屈服の代わりに承服を取り付けろ/粘り強い捜査もいいが、一方通行は禁物/上司を決して敵にするな/捜査中に枝分かれするな/毒の入った犯罪情報は避けろ/失敗する捜査はするな/捜査は総合芸術だ。切磋琢磨せよ/マスコミとの関係は不可近不可遠であるべきだ /刀には目がない。間違えば自分も傷を負う」

 最近、大統領府と共に民主党の人々はユン・ソクヨル検察総長率いる検察に激しい非難を浴びせています。「検察が国を混乱させている」、「検察で昔の病気がぶり返した」、「ユン・ソクヨル総長が大統領を夢見ているようだ」などと暴言を吐いています。先日自らの手で任命した検察総長に対し、そのような発言は慎んでもらいたいと思います。

 一方、自由韓国党の人々は、ユン・ソクヨル検察が「正義の使徒」でもあるかのように褒め称えています。検察総長の人事聴聞会の時とはまったく違う態度です。

 自由韓国党は今喜んでいる場合でしょうか。ユン・ソクヨル検察は果たして自由韓国党の味方でしょうか。私はそうではないと思います。

 再度言いますが、ユン・ソクヨル検察総長は検察主義者です。“チョ・グクという台風”が過ぎ去れば、今度は自由韓国党を“餌食”にするかもしれません。そうしなければ、今検察に浴びせられる非難をかわすことができないからです。

 結局、ユン・ソクヨル検察は文在寅政府や共に民主党、自由韓国党をいずれも敗者にし、やがては検察自身が独り勝ちを収めるつもりでしょう。

 検察は一体どうしてこのようなことをするのでしょうか。検察官たちが権力の化身であるからでしょうか。それは違います。大韓民国の検察官の中には政治や権力にはあまり関心がなく、強い正義感を持った人がとても多いです。にもかかわらず、検察官で構成された検察という組職全体はいつも改革に抵抗し、検察主義を最高のイデオロギーとして崇拝しているようです。その理由は何でしょうか。

 官僚主義です。すべての生命体が自己保護と繁殖の本能を持っているように、すべての組織は組織の保護と繁殖の本能を持っています。制御されない組織は必然的に怪物へと進化していきます。

 そのうえ検察は、捜査権と起訴権を同時に持つ絶対的な権力機関です。記者に特ダネの本能があるように、商売人に大儲けの本能があるように、検察は捜査本能、拘束本能、起訴本能があります。

 小説家のイ・ウェスが1982年に発表した『刀』という長編小説があります。刀に執着した人が生涯の課業で神刀を作りましたが、製作過程で人の血を入れなかったため、家族が暴力的に変わっていき、やがては自分の命を捧げるという内容です。刀が血を呼ぶという興味深い設定です。

 私は検察を徹底的に改革し、制御しなければ、これからも絶えず検察が無実の誰かを死なせ、傷つけることが起きると思っています。

 ムン・ムイル前検察総長が記者団の前で自分の服を振って「揺れる服ではなく、それを振っている手をみてほしい」と言ったことがあります。検察は道具に過ぎず、検察権力を悪用する政治家に問題があると言いたかったのでしょう。

 しかし、その比喩は間違っています。検察は服ではなく、非常に鋭く、長い刀です。このような刀はそのまま放置すると、必ず誰かを傷つけます。検察自身のためにも、検察は必ず改革しなければなりません。

 文在寅政府の検察改革法案は「高級公職者の犯罪(不正)捜査処」の設置法や検察と警察の捜査権調整法案です。ファーストトラックで選挙法改正案と共に国会で足止めされています。検察は法案の議決を防ぐためには何でもするでしょう。しかし、大韓民国と大韓民国国民のためにも、検察改革法案を必ず通過させなければなりません。

 乾坤一擲(運を天に任せて大勝負に出ること)の瞬間が待っています。与野党の国会議員、特に自由韓国党の議員たちには今よりも長い目で知恵と勇気を発揮してもらいたいと思います。

(お問い合わせ japan@hani.co.kr)

最終更新:9/9(月) 14:37
ハンギョレ新聞

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