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【書評】修羅の海を漂うしかない登場人物たち 『海の乙女の惜しみなさ』

9/10(火) 17:00配信

婦人公論.jp

◆その行間から浮上してくる
傷つき果てた魂たち

本書は、20世紀末の米国短編集・最高峰の呼び名も高い『ジーザス・サン』で、同業者たちからも一目置かれた鬼才デニス・ジョンソンの26年ぶりの第2短編集、そして遺作である。訳者あとがきによれば、著者は2017年5月に肝臓がんで亡くなったという。享年67。

『ジーザス・サン』では、ドラッグとアルコールに溺れながらも、かすかな光を求めてあがく人々を優しく掬い上げていたが、本書は雰囲気が少し違う。奈落の底を見てしまった人たちは、もうむやみに光を求めたり、もがいたりはしない。ただ傷だらけの魂を浮きにして抱き、修羅の海を漂うしかない─そんな短編集だ。

表題作「海の乙女の惜しみなさ」は広告業界で働く初老の男が語り手だ。食事会での出来事や結婚の失敗等、これまでの人生模様や忘れえぬ瞬間が断章形式で語られる。どこか諦念を感じさせる乾いた筆致のためだろうか、元妻ジニーや奇人の宗教画家トニーが突き落とされたという絶望の深さが、具体的に描かれていないのに、ひしひしと伝わってくる。

「アイダホのスターライト」の主人公はアルコール依存治療センターに入院中のマーク。家族や友人たちに更生を誓う手紙を書き続けるのだが、しだいに妄想か手紙かわからなくなる様子が痛々しく悲しい。

5つの短編に登場する人たちは皆、生きづらさ、どうすることもできない苦しみを抱えている。そして著者はそれぞれの「絶望の果て」「死」「老い」に寄り添い、自らの魂を重ねていく。詩情あふれる文体、その行間から浮上してくるのは傷つき果てた魂たちだ。それらが波にもまれ、透明になっていくようで胸が締めつけられた。

『海の乙女の惜しみなさ』
著◎デニス・ジョンソン
訳◎藤井光
白水社 2400円

白石公子

最終更新:9/10(火) 17:00
婦人公論.jp

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