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1弱東大が東京6大学野球にいる理由 識者と考える

9/11(水) 11:00配信

日刊スポーツ

創部100年、東大野球部の歴史は、敗戦とともにある。連敗、連続最下位など負のリーグ記録は、すべて東大のものだ。なのになぜ、今も東大は東京6大学野球に名を連ねていられるのか。少なからぬ人が疑問に思うことだろう。歴史を振り返りつつ、アカデミックな視点を交えて、3人の論者とともに東大が6大学に不可欠な理由を考えてみた。【取材=秋山惣一郎】

【写真】1975年以降の歴代東大ユニホーム

<ギリシャ的存在:東洋大教授・村田奈々子氏>

東京6大学野球における東大の存在について考える時、ギリシャという国を重ねることで、見えてくるものがあると思います。

ギリシャは小さく貧しい国です。今日の国際政治や経済における影響力はなく、近年は財政危機で破綻すらささやかれました。それでも欧州の、特に知識人にとって特別な国です。それはギリシャが欧州文明の源流、象徴と考えられてきたからです。

今からおよそ2500年前のギリシャで生まれた思想や哲学、文化が欧州における知の基礎となりました。民主主義は今も多くの国で政体として採用されていますし、ギリシャ語、ギリシャ神話は知識人の普遍的教養として生きています。1981年、現欧州連合(EU)へのギリシャの加盟に当たり、その基準を満たしていないにもかかわらず、ジスカールデスタン・フランス大統領は「プラトンの前にドアが閉ざされることはない」と、古代ギリシャの哲学者の名前を挙げ加盟を後押しした逸話が知られています。「ギリシャなくして欧州なし」なのです。

東大も野球の実力だけを求めるなら、リーグに不要でしょう。しかし東大は明治以降、日本社会に有為な人材を多数輩出し、今も大学教育、研究の頂点にあります。東大が加盟している重みは、勝敗だけでは測れません。弱くても「東大なくして6大学なし」の意識は、他の5大学も共有していると思います。

もちろん、欧州政治のリアリズムは、歴史への敬意だけで動いているわけではありません。東大がリーグに残っている事情も、伝統や権威だけではないでしょう。それでもギリシャと東大が、共同体の重要な一員として認められているのは、優勝劣敗の競争原理ではない価値が認められているから。その点で両者を重ねて見ることも可能だと私は考えています。

◆村田奈々子(むらた・ななこ)1968年(昭43)、青森県生まれ。専門はギリシャ近現代史。東大特任講師などを経て16年から現職。著書に「物語近現代ギリシャの歴史」「学問としてのオリンピック」(共著)など。

<天皇杯を呼んだ功績:全日本大学野球連盟副会長・橋本正幸氏>

硬式野球の天皇杯が、どの大会に下賜(かし)されているか、ご存じですか。プロ野球の日本シリーズでも、社会人の都市対抗でもない。東京6大学です。

プロ、アマ問わず参加を認めて日本一を決めるサッカー天皇杯が知られていますが、天皇杯は、国民に広く普及するスポーツの全国大会に下賜されます。その栄えある天皇杯が、東京6大学に与えられているのです。

全日本大学野球連盟の仕事をしていて、東京6大学は、他のリーグから一目置かれていると感じることがあります。歴史と伝統、実務の面でも連盟の中心的役割を担っていることはもちろん、やはり天皇杯が授与されるリーグだという歴史の重みも大きいでしょう。

東京6大学に下賜されるようになった過程で、東大野球部OBの尽力があったことが知られています。リーグには大正時代から、後の昭和天皇より「摂政杯」が与えられていました。戦争が終わって、リーグ戦が再開された46年、改めて「天皇杯」として下賜されることになりました。この際、力を尽くしたのが、宮内省にいたOBだったと伝えられているのです。

大きな連敗をするたび「東大はこのままでいいのか」という声が聞こえてきます。しかし天皇杯はひとつの例として、東大は、野球の実力だけでは割り切れない形で、リーグの発展に貢献してきました。

その昔、東大のリーグ加盟に当たり、長与又郎・野球部長は、部員に2つの覚悟を求めたと言い伝えられています。ひとつは「必ず1度は優勝するように」。もうひとつは「どんなに苦しくても自ら脱退することのないように」と。「優勝」は果たせずにいますが、ふたつ目は他の5大学をはじめ、多くの関係者の支持により、今も守られています。感謝しています。

◆橋本正幸(はしもと・まさゆき)1948年(昭23)、兵庫県生まれ。71年、東大経卒。元東京海上日動火災保険常務取締役。東大野球部OB会「一誠会」元会長。野球部100年史の編さん委員長を務める。17年より現職。

<背景には学問的対立:京都大名誉教授・橘木俊詔氏>

1925年(大14)、東大が加盟して東京6大学野球が発足した当時、日本は今と比べものにならない官僚国家でした。日本の近代化を担う官僚養成を目的に設立された東京帝大(現東大)は、他の私学に対して、別格の存在でした。そんな東大が、格下の私学と同じリーグを構成することになった背景には、学問上の対立が一因だったことは、あまり知られていません。

20年の大学令によって早大、慶大、明大、法大に加えて中大が、正式な大学として認められます。中大がリーグ結成に参加するのが自然な流れだったと言えます。しかし、法学を巡る方針の違いが、中大の参加に待ったをかけます。フランス法の伝統を重視する明大や法大に対し、中大はイギリス法。当時の学問は法学が中心で、どこの国の法律を基準に学ぶかが重要でした。その対抗意識から中大はリーグへの参加を見送ったのです。代わって、フランス法と同系統のドイツ法の東大が加盟することとなった、とされています。

以後、6大学リーグは同じメンバーで運営を続けています。東大がどれほど弱くても地位は安泰。中世欧州の商工業の組合「ギルド」的と言えます。ギルドは、閉鎖的、特権的で競争意識に欠け、自由な経済活動を妨げる不公正な制度だとして、批判を浴びて衰退していきます。学生野球でも、地方の大学が力をつけて、東京6大学は、かつてほど抜きんでた存在ではありません。入れ替え戦で活性化すべきだという意見も、1つの考えでしょう。

しかし学生の本分は、やはり学問です。リーグ結成時に学問上の対立があったことが示唆的です。「学問が第一」という学生野球の精神の象徴、それが経済学では語れない、東大の存在意義だと、私は考えます。

◆橘木俊詔(たちばなき・としあき)1943年(昭18)、兵庫県生まれ。専門は労働経済学。14年から京都女子大客員教授。共著に「スポーツの世界は学歴社会」など。

<データ>

◆6大学の通算成績(19年春季リーグ戦まで)

早大 1289勝768敗87分け  勝率6割2分7厘

明大 1243勝837敗106分け 勝率5割9分8厘

慶大 1206勝859敗93分け  勝率5割8分4厘

法大 1190勝871敗119分け 勝率5割7分7厘

立大 935勝1133敗97分け  勝率4割5分2厘

東大 253勝1648敗56分け  勝率1割3分3厘

◆東大の敗戦 10年秋から15年春にかけての94連敗のリーグ記録を持つ(他大学では法大の16が最多)。98年春から今年春まで、43シーズン連続最下位の記録を更新中。一方、連勝は4が最多(リーグ記録は慶大の20)。優勝回数は東大が0に対し、早大と法大が45回、明大40回、慶大36回、立大13回。

最終更新:9/11(水) 11:46
日刊スポーツ

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