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田原俊彦が干された真相…「BIG発言」だけではなかった

9/12(木) 9:26配信

日刊ゲンダイDIGITAL

【実録 芸能人はこうして干される】#3

 かつてルポライターの竹中労は「ジャニーズ、英語で書けばJohnny’sである。Johnnyは人名で、’sは<所有>を意味する」と述べたことがある。

 ジャニーズ事務所の芸能界支配の原型にあるのが創業者のジャニー喜多川による「少年の所有」だ。男性アイドル市場におけるジャニーズ事務所のシェアが独占といってもよいほどに高いのは、少年に対するジャニーの所有欲の強さを表している。

 ジャニーズを辞めたタレントには過酷な運命が待ち受けている。有名なのが田原俊彦のケースだ。

 1994年2月17日、田原は長女の出産報告会見を行い、会見の最後、「何事も隠密にやりたかったんだけど、僕ぐらいBIGになっちゃうと、そうはいきませんてのがね、よく分かりました」と締めくくった。これに対し、マスコミは「思い上がるな!」という非難の大合唱を浴びせた。

 80年代を代表するアイドルとして活躍した田原だったが、「BIG発言」の頃には、人気に陰りが見えていた。さらに発言が猛烈に叩かれたために田原のイメージは極端に悪化。田原の芸能活動は長期間にわたり低迷した。

 だが、「BIG発言」は田原の人気低迷のきっかけに過ぎない。実は、田原は「BIG発言」直後の94年3月1日に、18年所属したジャニーズ事務所を独立していたのだ。

 独立の背景には、ジャニーズとの確執があったといわれている。

 独立の前年の93年にはそれまで毎年行われていた田原のコンサートツアーが中止され、同年10月に夫人と入籍した際は事務所からの発表はなく、長女出産の会見でも事務所関係者は姿を見せなかった。

「BIG発言」に対するマスコミの過酷なバッシングには、ジャニーズ事務所という後ろ盾がなくなった田原に対する“溺れる犬は石もて打て”という意識が強く働いていたことは想像に難くない。

 田原は独立後の仕事のやりにくさについて次のように語っている。

「ジャニーズ帝国というのは、外に出ていく人間に対しては絶対的にNOなんですよ」

 テレビ局の「自主規制」は長らく続き、田原はジャニーズの見えない手に悩まされた。だが、2013年8月のイベントではジャニーズ事務所のメリー喜多川副社長からの手紙が届いた。手紙には、直筆でこう書かれていたという。

「(ジャニーズの)若い子たちが、トシの歌を歌っています。よかったら、今度観にきてください」

 この時、田原がジャニーズから独立してから、19年が経っていた。 =つづく

(星野陽平/ジャーナリスト)

最終更新:9/12(木) 11:59
日刊ゲンダイDIGITAL

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