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履正社・松平部長、善し悪し示す厳格姿勢で絆培う

9/12(木) 10:00配信

日刊スポーツ

岡田龍生監督(58)と監督、部長コンビを組んで18年、履正社(大阪)・松平一彦部長(42)が今夏甲子園大会で教え子と大優勝旗をつかんだ。優勝が決まった瞬間、ベンチ前にいた岡田監督は振り返り、ベンチ後列から駆け上がってくる松平部長に向かって両腕を広げた。2人の固い絆を象徴する光景だった。

【写真】1995年3月、センバツ1回戦の仙台育英戦で神港学園の代打松平一彦は同点適時安打を放ちガッツポーズ

松平部長を初めて取材したのは、95年のセンバツ大会。阪神・淡路大震災の被災地、兵庫代表の神港学園の代打の切り札だった。翌春に進学した大体大では硬式野球部のマネジャーを務め、大学球界のエース上原浩治(元巨人)の取材に立ち会ってくれた。当時のドラフトは逆指名制度。メジャーも巻き込んだ大争奪戦の中、上原の傍らで周囲の大人たちの言動、心情を理解しようと努めていた姿が印象的だった。

全国王者の大阪桐蔭と渡り合う履正社を部長として支える今の姿は、学生時代からコツコツと経験を積み上げ、周囲を見る目を磨いてきた結果だと思う。一貫して持ち続けているのは、ぶれない姿勢だ。生徒指導において、いいことはいい、だめなものはだめとしっかりと声を張る。

取材現場でもそうだ。取材が脱線しかけると「申し訳ないですが」とストップをかける。「選手のためにも、できるだけ取り上げていただきたいとは思っているんです。でもいいものはいい、だめなものはだめとぼくが言えないと、生徒はついてこないでしょう」。履正社が全国クラスの強豪校になる前から、この姿勢は一貫していた。

根底にあるのは、母校・神港学園だと思う。DeNA鶴岡一成バッテリーコーチもその一員だが、当時のチームメートを大事にし、同期会を心待ちにする。恩師の北原光広監督(現流通科学大監督)から携帯に着信があると、今も緊張。携帯を持つ手が震える。

今夏の決勝終了後、恩師からねぎらいの電話をもらった。「『自分が高校生のセンバツでは泣かんかったのに、今回は泣いとったなあ』と言われました」とうれしそうに明かした。恩師と教え子の不変の関係。それを目指して岡田監督と手を携え、長い道のりを歩いてきたのだと思った。【遊軍 堀まどか】(ニッカンスポーツ・コム/野球コラム「野球手帳」)

最終更新:9/13(金) 23:21
日刊スポーツ

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