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実はドラゴンズはノーヒットノーラン投手の宝庫だった!

9/13(金) 10:10配信

CBCテレビ

ノーヒットノーランという記録はファンを大いに沸き立たせ、そしてチームに勢いを与える。
2019年9月6日に、福岡ソフトバンクホークスの千賀滉大(こうだい)投手がノーヒットノーランを達成した。プロ野球の歴史で80人目、育成出身選手としては初めての偉業である。この試合キャッチャーとして大記録を分かち合ったのが甲斐拓也捕手であり「育成出身バッテリー」だった。こんなところにもソフトバンクホークスの選手層の厚さを痛感する。令和に入っても初となるノーヒットノーランに球界は沸いた。

中日は「ノーヒットノーラン投手王国」

福岡から届く快挙のニュースを名古屋で受け止めながら、半世紀以上のドラゴンズファンとして、実はドラゴンズ投手のノーヒットノーランを結構な数で体験していることに気づいた。それもそのはず。1936年からのプロ野球の歴史の中で、ドラゴンズの投手がノーヒットノーランを記録した回数は実に11回。12球団で1位の讀賣ジャイアンツの16回に次ぐ堂々の2位なのである。実はドラゴンズは「ノーヒットノーラン投手王国」だった。

大谷翔平も驚く?ミスター・ドラゴンズの実力

2リーグ前の名古屋軍時代では、西沢道夫投手が1942年(昭和17年)に記録した。球団史上で最初のノーヒットノーラン投手だった。西沢道夫という選手の凄さは、第二次大戦後の1952年に今度は打者として、首位打者と打点王の二冠王を獲得したことだ。
ノーヒットノーラン時は、現在柳裕也投手が背負っている「17」番の背番号だったが、その後打者として「15」を背負って初代「ミスター・ドラゴンズ」と呼ばれるようになった。背番号「15」は永久欠番だ。こんなノーヒットノーラン投手は他球団にはいない。竜の誇りである。
その西沢投手に続き、翌1943年には石丸進一投手が球団2人目のノーヒットノーランを達成した。石丸投手はその年に20勝を挙げたが、その後に神風特攻隊員として出征、二度と竜のマウンドに戻ってくることはかなわなかった。

近藤真一ノーヒットノーランの衝撃

球団名が「中日ドラゴンズ」になってからの最初のノーヒットノーラン投手は杉下茂さん。エースとして球団初の日本一を達成した翌年の1955年(昭和30年)だった。
大矢根博臣さん、中山俊丈(達成当時は義朗)さんと続いた後に、衝撃のノーヒットノーラン投手が登場した。近藤真一(現・真市)投手である。1987年(昭和62年)8月9日、ナゴヤ球場でのジャイアンツ戦で記録したノーヒットノーランは、高卒ルーキーのプロ初先発という大舞台だっただけに、ドラゴンズファンはもちろんのこと、全国のプロ野球ファンを熱く興奮させた“真夏の夜の夢”だった。

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最終更新:9/19(木) 10:28
CBCテレビ

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