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今だからこそ乗ってみたい!? 日産のパイクカーを振り返る

9/13(金) 16:20配信

MOTA

コワモテのクルマが増えた今こそ見直したいパイクカー

今を遡ること34年前、1985年の東京モーターショーに日産が参考出品した「Be-1」(ビィー・ワン)は、レトロ感覚溢れる親しみやすいデザインで登場し、大きな話題となりました。

■今でも通じるデザイン!? 日産のパイクカーを画像で見る

その後も「パオ」「フィガロ」が相次いで登場し、一連の日産パイク(槍)カー・シリーズを形成しました。

広義のパイクカーにはいろいろな車種が入りますが、狭義では日産が出した1987年のBe-1から1991年のフィガロのみとすれば、販売時期は実質的にわずか数年の出来事だったのですから驚きです。

パイクカーを生み出せたのは、ちょうどバブル期の「なんでもござれ」時代だったこともありましたが、逆に高級・大型志向、速いクルマ、ハイテク満載のクルマが溢れつつあった時代に、レトロ調のおっとりしたデザイン、性能的にはふつうのクルマだったパイクカーが、多くの人々の心を惹きつけたことにも改めて驚かされます。

そして、パイクカーは今なお中古市場で大人気です。あれから約30年が経った今、クルマがさらに高性能化・ハイテク化し、外観がコワモテのクルマが多い今だからこそ、手作り感、こだわりのデザイン、優しい表情を持つパイクカーが見直されているのかもしれません。

そこで、今回は日産が生み出したパイクカー3種+αをお送りいたします。

その1:レトロを売りにした画期的なアイデア! パイクカーの元祖「Be-1」(BK10型)

Be-1の元デザインは、1982年に登場した初代マーチ(K10型)のリニューアルプランの一つでした。デザインプランには、日産自身のデザインチーム、外部デザイナー、海外デザイナーから数案が提出されました。その中から、クルマと全く違うアパレル分野から招聘された外部デザイナー、ウォータースタジオ・坂井 直樹氏の「B-1」案が採用されることになりました(そう、車名の由来はこれです!)。現在では珍しくないレトロ調のデザインでしたが、当時としてはむしろ極めて画期的だったのです。

その案のクルマを1985年の東京モーターショーに参考出品したところ、予想以上の大反響を得たため日産は1万台の限定生産を決定、1987年から高田工業によって月産400台体制で生産が開始されました。ポップで明るいボディカラー、丸いヘッドライト、シンプルな内装など、ショーモデルで好評だった要素を可能な限り生産型でも再現していたこともあって、発売直後に注文が殺到。わずか2ヶ月で予約がいっぱいになったことからも、その反響の大きさがわかります。

Be-1は、エンジンは直4OHC+電子制御キャブレターの「MA10S」で、機構的にはベースの初代マーチと大きく変わることは無いのですが、可愛らしい丸いボディを表現するために、フェンダーに新しい樹脂素材を採用するなど新技術が多数盛り込まれていたことも特徴でした。

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最終更新:9/13(金) 16:20
MOTA

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