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異様にツイてる駆逐艦「雪風」のヒミツ 旧海軍屈指の強運はいかにしてもたらされた?

9/13(金) 6:00配信

乗りものニュース

「雪風」は沈まず!

 太平洋戦争において、旧日本海軍は実に多くの艦艇を喪失しました。そうしたなか、激戦をくぐり抜け生き残り「不沈艦」「強運艦」などと呼ばれた艦艇も何隻か存在します。無論、そうした「不沈」「強運」と称揚される艦艇でも、程度の差こそあれ大抵は損傷しドック入りなどしているものですが、一方で数々の海戦に参加しながらも、さしたる損傷もないまま終戦まで生き残った艦がいました。聞けば聞くほど常識外れとしか思えない強運を誇るのが、駆逐艦「雪風」です。

【写真】アナログ計器や伝声菅が並ぶ駆逐艦「雪風」のブリッジ内観

 陽炎型駆逐艦8番艦「雪風」は、1941(昭和16)年12月11日にフィリピン中部のレガスピー攻略戦へ参加したことを皮切りに、謎の多い空母「信濃」の護衛や、太平洋戦争末期には戦艦「大和」の沖縄特攻にも出撃しています。ほか、ミッドウェイやソロモン、レイテ沖など太平洋戦争におけるおもな海戦のほとんどに参加しながら、「雪風」は大きな損傷を受けることなく終戦を迎えました。当時の主力駆逐艦であった甲型駆逐艦(陽炎型、夕雲型)38隻のなかで、唯一の生き残りです。

 戦時中からその強運ぶりは知られており、「強運艦」や「不死身の駆逐艦」、また、ただちに戦闘態勢へ入る初動の速さから「超機敏艦」とも呼ばれていました。1943(昭和18)年11月2日から3日にかけ、南太平洋の現パプアニューギニア島しょ部にあったラバウル泊地が空襲を受けた際、在泊していた日本艦艇のなかで一番早く機関を動かして湾外に脱出した駆逐艦「時雨」は、空襲を予想して最初から湾外に停泊していた「雪風」を見て驚いたというエピソードが知られます。ちなみに「時雨」も「呉の雪風、佐世保の時雨」とうたわれる「強運艦」として有名でした。

運も実力の内、ホワイト職場がたぐりよせる強運

「雪風」と同じ第二水雷戦隊に所属していた駆逐艦「冬月」の乗組員が、砲術指導で「雪風」におもむいた際、艦内や部署が清潔であることに驚きます。現代では職場の安全、健康、生産性向上を図るものとして、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」の頭文字をとった4Sという言葉を聞きますが、「雪風」はこの4Sが徹底されていたようです。この乗組員は、「雪風」艦内は他艦とどこか違う雰囲気を感じたと回想しています。

 職場や学校のクラスにも「はつらつとした」とか「どこか空気がよどんだ」というような「空気感」があることと思いますが、艦にもそれぞれ、個性のように艦内の「空気感」というものがあるそうです。上述のように、「雪風」はいまでいう4Sが行き届き、良い空気感だったことがうかがえます。

 駆逐艦「冬月」の元士官は、「雪風」も参加した第二水雷戦隊による応急処置訓練の際、「訓練ではいつも『雪風』が群を抜いて早く正確に応急処置ができていた。日頃の訓練の成果が好運艦、強運艦を生んだのであって、単に偶然が好運艦を生んだのではないと感じた」と述べています。

  また元海軍大尉で、作家、評論家の阿川弘之氏は、歴代艦長の調査や取材から「雪風」は訓練がよく行き届いた艦であるとし、幸運艦といっても「自ら助くるものを助くといった筋の通ったものの様だ」と評価しました。

 行き届いた4Sや訓練でも好成績をキープし続けることは、艦長など幹部の上からの押し付けではなく、乗組員ひとりひとりが評価されてより奮起する「ポジティブ思考が更に成果を上げる」という、艦内の空気が大きく影響したようです。これが乗組員の練度を高め、艦としてのパフォーマンスを向上させ、戦果を挙げて生き延び、結果として「強運艦」と呼ばれるようになったのです。いまでいう「ホワイト職場」といったところでしょうか。

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最終更新:9/13(金) 20:37
乗りものニュース

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