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松坂大輔と高校時代、延長13回を投げ合った。館山昌平が語った「青春時代」

9/14(土) 7:09配信

高校野球ドットコム

 9月13日に引退会見を行った、東京ヤクルトスワローズの館山昌平投手と畠山和洋選手。
 今回、「松坂世代」の投手として、数々の記録や活躍で球界を盛り上げてくれた功労者・館山選手がこれまで語ってきた熱い言葉を紹介していきたい。
 第1回は、館山選手の「青春時代」。10代の頃の野球との思い出をたっぷりと語ってくれた。

青春時代

 ここに、意外なエピソードがある。
「小学校や中学生の時の同級生と会うと、『まだ野球やっているの?』って会話になるんです。『あの館山がまだ野球やってるよ』って言われるんですよね(笑)
 実は、僕は小学5年生まで、ずっとライパチ。6年生ではキャッチャーで7番。それまで、一度もピッチャーをやったことない選手が、今こうやってピッチャーやってるんですから、周りからみたら不思議でしょ」そう言って、館山は笑った。

 小学校2年生の時に、始めた野球。初めての試合で立った打席では三振して、涙を流した。小学生の時に唯一打ったホームランは、レフトのトンネル。
「高校野球でもホームラン打ったことのない選手が、その後、ハマスタで、バックスクリーンに放り込んじゃうんですよ」

 ヤクルトへ入団8年目の2010年8月に、横浜スタジアムで行われた横浜DeNA戦で、なんと、館山は中越3ランを放った。
「本当に夢のある話ですよね」
 子どもたちへの野球教室では必ず、そんな話しをするのだという。

高校入学時の目標は、『3年夏にベンチ入りすること』

 小さい頃から、強く、プロ野球選手を夢見ていたわけではない。
「僕は小学校の卒業文集に『ピアノの先生になりたい』って書いているんですよね。夢叶ってないじゃんって思いますけど(笑)。実際に、プロ野球選手になりたいって思ったのは、中学生からですね」
 とはいえ、中学時代は3番手投手。プロ野球選手は、まだ遠い夢だった。


「中学の時の3番手投手というのも、途中で、エースだった選手が引っ越しをして、それでみんな繰り上がって、センターラインを守っていた自分もピッチャーをやることになったんです」
 
 中学を卒業後、神奈川県の日大藤沢高校に進学した理由も、館山らしいものだった。
「もともとはキャッチャーだったので、高校ではキャッチャーとしてやっていくイメージをしていましたが、キャッチャーってベンチに2人しか入れないじゃないですか。でも、ピッチャーなら4人はベンチに入ることが出来る。俺は2人の中に入るのは無理だ!と思って、ピッチャーができる可能性のある日大藤沢を選んだんです」

  そんな館山が高校入学時に立てた目標は、

 “3年生の夏を迎えるまでに夏のベンチに1回入ること!”

「とにかく、ベンチ入りメンバーに入って、このチームで甲子園に出られたらいいな。その時に自分が中心選手じゃなくても、あの中に入れたら、どんなに嬉しいだろうっていう思いを持っていました」
 
 しかし、実際に日大藤沢高野球部に入部すると、なんと30人の同級生のうち、ピッチャーは13人。館山は、ここから、自らが立てた目標達成に向けて歩み始める。

「3年の夏までにベンチ入りするという目標の前に、まずは、2軍戦で1イニング投げることを目指しました。あれだけ同学年にピッチャーがいても、他の人の技術がすごいなとか、全然気にならなかったんですよね。というのも、高校野球での目標が、ベンチ入りの4人の中に入ることだったので(笑)志、低いんですよね。でも、そのために、1日1日、自分が上手くなるために、どうやったらいいのかなということは常に考えていました」

 実は、館山のそんな考え方は、日大藤沢高校野球部の代々受け継がれる部訓にピタリとハマっていた。

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最終更新:9/14(土) 8:22
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