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熱い男で“日本人”だった阪神引退のメッセンジャー

9/14(土) 10:34配信

日刊スポーツ

<ニッカンスポーツ・コム/プロ野球番記者コラム>

横浜に吉村家というラーメン店がある。言わずと知れた超人気店。阪神戦の遠征時に僕も通ったものだが、とにかく並ぶ。食券を買って店前の長椅子に腰掛ける。大学生、サラリーマン…。男性おひとり様が多い。あるとき、食べ終わって店を出ると行列のなかで食券を持って座って待っているゴツイ男が目についた。1人でやって来て背中を丸めて列に溶け込んでいた。

【写真】「I'm Finally 日本人」と書いたTシャツでお立ち台に上がったメッセンジャー

「メッセンジャー」と聞いて、いつも真っ先に思い出すのが、この光景だ。9月13日に引退を決意し、球団に伝えた。来日10年目の重い決断だった。その日の原稿で「勝負に熱い男だった」と書いた。本当に過剰なまでに勝利にがっつく。日本で揺るぎなき地位を築いても、ハングリー精神が消えることはなかった。

何年も前に聞いたことがある。米国ネバダ州出身。子どものころは貧しく、住む家も定まらず、転々としていたという。だから、だろう。携帯電話には米国で建てた大きな家の画像を収めていた。異国で成功した誇りだった。チーム思いの一面もあった。沖縄・宜野座キャンプ中、投内連係で藤浪がミスしたときだ。背後から「これでハンシンの負けだぞ!」とヤジった。基本を怠るな。練習のワンプレーでも細心さで臨む、そんなスタンスがあった。

グラウンドを離れれば、チームスタッフも食事に誘って出掛ける。16年3月、鳴尾浜でルーキー望月の投球を見ると目をむいて声を掛けた。「ドラフト4位なんてウソだろ。1軍に出てこれるよ」。同じ長身右腕のトラヴィスには「俺たちはこうやって投げるんだ」と言いながら、熱心に教え始めた。こんな話がいくつもある。速球一辺倒だった来日1年目の苦戦から、ここまで来た。腐らず、たゆまず、力強く歩を進めてきた。彼が自作のTシャツに書き込んだメッセージの通り、紛れもなく「I’m Finally 日本人」だった。【阪神担当 酒井俊作】

最終更新:9/14(土) 10:52
日刊スポーツ

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