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元関脇・嘉風、妻の「なぜ三役になれないの?」で奮起…引退会見で全力相撲振り返る 

9/17(火) 6:14配信

スポーツ報知

 右膝負傷により、12日に現役を退いた元関脇・嘉風の中村親方(37)が16日、都内のホテルで引退会見に臨んだ。約16年のプロ人生に涙はなく周囲に感謝。一方で6月に大分で、故郷をPRする目的で行ったという渓流下りのイベント中に負傷し、土俵復帰がかなわず「悔いしかない」と不完全燃焼の本音も漏れた。当面はリハビリに専念しつつ、尾車部屋付きの親方として後進の指導をする。

【写真】愛娘とピアノを弾く友風

 名勝負を繰り広げた土俵上のように、元嘉風の中村親方が視線を真っすぐに口を開いた。右脚に装具をつけながらも歩行して師匠・尾車親方(元大関・琴風)とともに壇上へ。「37歳まで現役を続けられるとは想像もできなかった。最高の環境で本当にありがたい相撲人生でした」。2004年初場所初土俵から約16年の現役生活。支えてくれた全ての人に頭を下げた。

 土俵への別れは突然だった。6月、故郷の大分・佐伯市での合宿。市のPR企画でキャニオニングという渓流下りに参加した際に大けが。「右膝前、後十字じん帯損傷、右ひ骨神経まひ」などで緊急手術し全治未定。担当医師からは現役続行は厳しいと伝えられた。それでも、「このけがでアスリートが復帰した例はほぼない。先生方の見解を崩してやろう」と意を決した。不屈の力士・嘉風らしく、けがにも真っ向勝負を挑んだ。

 名古屋から2場所連続休場し、懸命なリハビリが続いた。だが、「土俵に立つことは難しい」と3か月をかけ現実を受け止めた。今も右足首が思うように動かない。11日に師匠へ引退の最終決断を報告した。本当は土俵で散りたかった。会見が進むと本音がこぼれた。「悔いしかない。いろいろな方に励まされたが悔いは残る。相撲というのは人生そのものだったので」。寝ても覚めても、相撲愛を貫いたからこその言葉だった。

 最も印象に残る一番は、新小結の14年夏場所9日目。当時大関の稀勢の里(元横綱)戦を挙げた。寄り倒しで敗れたが、「目いっぱいの力を出し切った。今までもらった声援で一番。体の芯から震えるような拍手だった」。負けても胸を張れた。そんな力士を育てたい。

 次なる道へ、真っすぐ歩を進める。「親方になって若い衆を指導する。何度か手術は必要かもしれないが今はその夢に向かってリハビリに励んでいる」。悔いても決して下は向かない。「嘉風2世」が待ち遠しい。(小沼 春彦)

 ◆嘉風に聞く

 ―引退を発表して。

 「現役を辞めたということ、親方になったことの実感がまだ湧いていません」

 ―30歳を超えて新三役、初金星と強くなった。

 「3つのターニングポイントがあった。師匠が巡業部長の時、ある春場所で大負けした。春巡業初日に『嘉風はこのまま終わるのか?』と。自分にとっては激励だった。そして、九州場所でも応援団の前で勝つ姿を見せたいと思って、安易にはたきにいって負けた。母が応援団の声を代弁してくれて『勝つ姿じゃなくて、(嘉風の)土俵に立つ姿を見に来たからみんな喜んでいた』と。変化した自分が恥ずかしく、全力で相撲を取る姿を見てもらいたいと思うようになった。もう一つは、妻から『あなたが対戦した人は三役になっているのに、なぜ三役になれないの?』と。家族も悔しい思いをしている。そこで奮起した」

 ―どういう親方になる?

 「尾車部屋のような弟子が目いっぱい力を出せるような理想は持っています。相撲には勝負する前の所作も重んじられて、伝統文化の一つとして受け継がれている。おろそかにしないでやってほしい」

 ◆主な力士の引退の言葉

 ▽元横綱・千代の富士(1991年5月14日)「体力の限界…、気力もなくなり、引退することになりました」

 ▽元横綱・貴乃花(2003年1月20日)「すがすがしい気分です。心の底から納得しています」

 ▽元横綱・稀勢の里(2019年1月16日)「私の相撲人生において一片の悔いもありません」

 ▽元関脇・豪風(同1月23日)「素晴らしい時間を過ごさせてもらった。体力の限界、気力の限界」

 ▽元関脇・安美錦(同7月18日)「スッキリしています。(自分を)褒めてあげたい。やりきった」

 ◆キャニオニング 渓流下り。いかだやボートを使わずに、ウェットスーツとヘルメットを着けて渓谷の岩や滝を下ったり、川を泳いだりする冒険の要素が強いヨーロッパ発祥のウォータースポーツ。

最終更新:9/17(火) 7:17
スポーツ報知

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